Boss's Soliloquy

Boss’s Soliloquy ボスの独り言

あり得ない文化の違い、サクセスストーリー、過去の経験が今の自分を形成していることの事実をボスの独り言としてまとめています。

人生を放棄した人間が売れっ子カメラマンへ転身!

番組制作会社でディレクターとして頑張っていたコウタ(仮名)。
番組の企画、打合せ、役者手配、カメラリハ、撮り、編集、何でもこなしていた。
早朝から地方に行き、撮影を済ませ、徹夜で編集をし、番組に間に合わせる日々。
一日があっという間に過ぎ、毎日時間に追われ、精神的にもギリギリの状態で過ごしていた。
それでも、必死に現場を仕切り、いつかは自分の番組を持つ夢を追い続けていた。
そんな彼が、ある日仕事に穴を空けてしまい、TV局との契約が打切られるかもしれないという状況の中、会社からクビの宣告を受ける。
コウタに責任を押し付けて、TV局との契約を維持した体になる。
自分達さえ生き残ればいいのか?ふざけんな。
仕事がすべてだったコウタ。
どん底に突き落とされたコウタは、酒に溺れ、ドラッグに手を出し、身も心もボロボロになる。
そんな折、番組撮影で海外に行った時、ワーキングホリデーという言葉を耳にしたことを思い出す。
日本なんかクソくらえ!
すぐにワーキングホリデー(ワーホリ)ビザを申請し、知人を頼ってオーストラリアへ旅立った。
金はあるが、目的も何もない。言葉も大してできない。
ただ、日本にいるのが嫌だっただけだ。
知人に紹介してもらった家に何とかたどり着き、金を払って居候をさせてもらう事になる。
いろんな国の男女が入り混じって一緒に生活してる。言葉も通じなかった。
でも、そんな事はどうでも良かった。
日本のクソ社会からドロップして人生を放棄したようなもんだ。
朝からビールを飲み続け、一日中部屋で飲んだくれる毎日が続いた。
ある日、フラットのオーナーが声をかけてくれた。
何を言ってるのかわからなかったが、心配してくれているようだった。
シェアメイトも声をかけてくれるが、適当に返事を返すだけ。
毎日、泥酔。
このまま俺の人生どうなっちまうんだろう。
自然と涙がこぼれてくる。
ふと窓に目をやると、シドニー湾のオペラハウスが夕日に染まってオレンジ色に輝いてる。
何気なしに、部屋にあった誰かのカメラで、その輝いているオレンジを撮影した。
そんな事、ずっと忘れていたんだ。
オレンジ色に染まった輝いてるオペラハウスの事なんか。
カメラの持ち主が、あまりにも綺麗な写真だったからと、勝手に写真展に出したら優勝してしまったらしい。
主催者がどうしてもこの写真を撮った人間を紹介してほしいって事で、ムリヤリ外に連れ出された。
オーストラリアに来て、初めて外出した。
ホテルのバンケットルームで、華やかなイベントが開催されている。
きらびやかな世界は久しぶりだった。
自分でも胸が躍るのがわかる。
そして、知らず知らずのうちに壇上に上がっている自分がいる。
ただ、サンキューとだけ何回も連呼して、1万ドルを受け取った。
やっぱり、自分は華やかな世界が好きなんだ。
翌日、主催者の所に訪問し、その日から主催者の人の仕事を手伝う事にした。
カメラの事はずっと仕事をしてきたから、ある程度は理解してる。
だが、動画ではなく静止画。
奥が深い。
優勝した1万ドルでカメラを買い、レンズを買い、どんどん写真の世界に入り込んでいった。
フリーで撮り続けていると、日本人観光客を相手に商売ができる事を知った。
記念写真を撮って1000円で販売する。
旅行の記念で!と声をかけるだけで毎日何人もお客さんを獲得できた。
稼いだお金で自分の店をオープンし、夜間の語学学校に行き、ビジネスビザを経て永住ビザも取得した。
毎年開催される写真展に出展を続け、いろんな所から仕事が舞い込んでくるようになった。
でも長くは続かなかった。
バブルが崩壊し、観光客も激減した頃、彼は店をたたみ世界中を回る事になる。
今、彼は報道カメラマンとして、各TV局からのオファーが絶えない売れっ子になっている。
いつ、どこで、どんな出来事があるのか、嘘のような本当の話。

50歳で大学に進学したボブ先輩

シドニーで働いていた時、ビジネスでお世話になったボブ先輩がいる。
オーストラリア最大の通信会社のテルストラ (Telstra Corporation/日本でいうところのNTTみたいな会社)で、ゼネラルマネージャーだった。
通信業界のあまりにも早いスピードに、さらに輪をかけて先を見据えて営業戦略を建てる。
毎日が時間との闘い。
競合他社との闘い。
オーストラリア最大手のゼネラルマネージャーともなると情報戦略も収集力も人脈もすごい。
オーストラリアでのビジネスの進め方など、たくさん教えてもらった。
そんなボブ先輩が、ある日【会社を辞める事にした】と突然連絡してきた。
携帯電話、インターネットが普及し、海外進出、国内での需要など、仕事に撲殺され自分を見失ってしまったと。
当時、ボブ先輩は48歳。
バリバリのビジネスマンだと思っていたのだが、実は精神的にも体力的にも擦り切れしまっていたのだとポツリと言われた。
これからどうするのか?と尋ねた所、感動的な答えがかえってきた。
【僕はオーストラリアの自然を愛している。今まであまり気にもしていなかったが、世界に誇れる大自然だ。そして僕は海が好きだ。だから海を守る仕事をやるよ。そのために、これから大学に行って一から勉強したいんだ。】
バリバリのキャリアを捨てて、母国の自然を守る仕事に就くために、大学に行って勉強をする。
日本では考えられないような選択。
49歳から大学に入り、同時に過去の人脈を頼り、グレートバリアリーフで毎日船に乗船してサンゴ礁の環境整備の仕事の手伝いをスタートさせた。
家族をシドニーに残したまま、自分のやりたい事を貫くなんて、自由気ままに過ぎるように思えたが、家族みんながボブ先輩を応援していた。
彼本来の生き生きとしたさわやかな笑顔が戻ったのだと家族は大喜びだった。
一度だけ、ボブ先輩が操縦する船に乗せてもらった事があるが、今までに見た事のない笑顔が、充実度を物語っていた。
今、ボブ先輩は、グレートバリアリーフのどこかで、真っ黒に日焼けしたさわやかな笑顔で、新たな人生を謳歌している。

リュークとマーシーの恐るべし感覚。

パブで顔見知りだった、リュークとマーシー。
サーフィンが共通の趣味でだったこともあり意気投合。
お互いのビジネスについても熱く語り合う仲だ。
ある日、リュークの会社の商品に魅力を感じたマーシーはビジネスタイアップを持ちかけた。
今となってはサーフィンも一緒に行く友人だし、いつも一緒にパブで飲む間柄で気心も知れている。
オファーを受けたリュークは、会社のオーナーに事情を話し、マーシーの会社を調べた後、契約を結んだ。
現場を取り仕切る事になったリュークとマーシーは、今までの商品にさらに付加価値をつけてマーケットに売り込んでいった。
互いにビジネス感覚を認め合いながら、どんどん業績を伸ばして行く。
今まで順調に進んできたビジネスだったが、ちょっとしたトラブルから、お互いに責任転嫁をするようになる。
日本だったら、どうなるだろうか。
トラブルの度合いにもよると思うが、まずは修正点を見出し、より業績を上げる施策を考えて行くと思う。
そして、次にトラブルが起きないように充分に注意をしながら事を進めて行くと思う。
ところが、オーストラリアでは大きく違う。
契約書を下に、すぐに裁判に持ち込むのだ。
あれほど仲の良かったリュークとマーシーは、互いに弁護士を立てて裁判所で互いの主張を言い合う。
そして、判決が下る。
日本だったら、裁判までしたのだから、あれほど仲の良かった友人同士でも疎遠になってしまうのではないだろうか。
ところがオーストラリア人は違うのだ。
裁判所であれほどガンガンに主張し合った二人が、判決が下った後、いつものパブで一緒にビールを飲んでいるのだ。
この感覚が本当に信じられない。
こちらとすれば、リュークとマーシーに対して、どう気づかいをすれば良いのか見当もつかない。
ビジネスはビジネス。プライベートはプライベート。
本当にこんなに割り切れるものなのだろうか。
そして判決結果をもとに、契約書を見直したのみで、今までと同様にビジネス契約が生き続けている。
恐るべしリュークとマーシーの感覚。
残念ながら、日本人の当方には考えられない。
人として器量が狭いのかもしれないが、カルチャーギャップを感じざるを得ないのだ。

交際するのに契約書って・・・考えられない!

シドニーに在住していたユウコ(仮名)から聞いた話。
オージーの超イケメンの彼と出会えて、晴れてつき合う事が出来たと舞い上がってたユウコ。
自慢の彼を連れて、毎日のように一緒に過ごしてたまでは良かったが、ある日、交際の契約書のサインを求められることになる。
交際に契約書?ユウコは、正直戸惑う。
果たして契約書に書かれていた内容は・・・
毎日、交代で朝食と夕食を作る。
毎日、一緒のベッドで寝て夜の営みをする。
洗濯は週に1回、交代で担当する。
掃除は週に1回、交代で担当する。
週に一度は家族(相手の親)と食事をする。
月に一度は旅行に出かける。旅費は折半。
友人との食事は1週間前に伝える。
他の人と遊びに行く時は日帰りのみ。
毎月2人で貯蓄をする。
お互いに浮気はしない。
記念日には互いにサプライズをして喜ばせる。
その他にも、カーテンの色、ペットを飼う、花の水やり、食器洗い、シャワーの時間・・・・・。
細々と、30項目くらい書かれている。
何のためにコレが必要なのか?彼に問いただしたところ、答えはこうだった。
僕はユウコと結婚をしたい。
僕が求める条件を書きだしたから、ユウコも条件を書き出してほしい。
お互いに約束を守る事が出来れば、結婚してもうまくいく。
でも約束が守れなかったら、信頼できない人になるから結婚はできない。
僕の友人は、その契約が守られなかったことで裁判になって慰謝料を払った。
マジか?
今まで日本で何人かの人とつき合った経験があったユウコも、こんな事を聞くのは初めてだった。
国が変わると、つき合うにも契約書が必要になるなんて。
離婚調停なら理解も出来るが、まだつき合っている段階で裁判なんて、信じられない。
そして、ユウコも自分の条件を紙に書きだしてはみたが、今まで考えたこともなかったので、彼の条件に譲歩する感じで、2人でサインをしてお互いに契約書を持つことになる。
果たして、仕事で疲れていたり、体調を崩したりして、食事の担当が出来ないことが増え、ケンカが絶えなくなった結果、契約不履行という事で2人はつき合って6ヶ月で別れる事になってしまう。
国や文化が違ったとしても、こんな契約書考えられるだろうか?
結婚をするために、お互いに信頼できる人かどうかを確かめる契約書なんて。
2人の間なんて、契約書だけで語れるものではないハズ。
お互いの存在が必要で、お互いに話し合い理解しあって、根底の所でお互いが繋がる方が遥かに大切だと思うのだが。
契約書に縛られるようなつき合いなんて正直うんざりだと、心からこぼしてたユウコ。
留学先やワーキングホリデーで滞在していると、いろんな出会いがあり、いろんな文化を知る事が出来るけど、自分にとって、最高の出会いを掴めるように、いろんな世界を知る事も大切だよね。

バスの運転手がバーガー片手に運転

今から25年近く前の事。
仕事が早く片付いて、バスで帰っている時の出来事だ。
バスの車内は学校帰りの学生や、一般の人達が乗車していて、それなりに混んでいる。
突然、バス停でも何でもない所にバスを停車したと思ったら、バスの運転手がバスを降りて道の反対側へ渡って行くではないか。
どうかしたのか?何かあったのか?
車内から何人かの人たちがバスを降りて運転手の方角を見ている。
停車したままのバスに乗車している乗客がザワザワと騒ぎ始める。
10分くらい停車していただろうか。
バスの運転手が紙袋を抱えて、バスに戻ってきた。
【ソーリー♪】などと言って、何事も無かったかのように乗車してバスを運転し始めた。
そこからが驚きだ。
持っていた紙袋をゴソゴソしたと思ったら、ハンバーガーとドリンクが出てきた。
そして、ハンバーガーをパクつきながら、片手で運転してるではないか。
ドリンクのストローをチューチュー吸いながらの運転だ。
車内全員があきれ顔。
一人の老婦人が運転手に向かって、大声でクレームしていたが、他の人達はあまり関心がなさそう。
隣に立っていた人に【こんな事あるのか?】と聞いてみたら、【たまにね】だって。
こんな事、日本では絶対にありえないシチュエーション。
事故でもしたらどうなるんだろうか。。。。。
これも文化の違いなのか、新たなカルチャーギャップを楽しんだ次第である。

ディテンションセンター送致の危機!?

9.11の衝撃の後、各国の入国での荷物検査が非常に厳しくなった事は周知の事実。
今までは、荷物検査もそれほど厳しくなかったのだが、現在では空港職員や手荷物検査の係員が一気に増えて、入国者に少しでも気になる事があれば、ランダムにバゲージを片っ端から開けさせてチェックする。
これは、9.11の翌年の話。
永住者の友人(ヒロ:仮名)がシドニーに入国した時の事。
いつも通り日本からオーストラリアに戻る際、スーツケースの約半分を日本の焼酎や柿ピーやタバコなどを詰め込んで、お土産で持ち帰っていた。
オーストラリアでは、日本で2千円程度で買える焼酎が、なんと100ドル前後もする。
タバコは、1箱10ドル前後もするのだ。
焼酎好きでも高価なので、なかなか手にすることがないので、仲間内のお土産としてはうってつけなのだ。
そして日本のタバコも。
早朝に空港に到着し、今までと同様にバゲージをピックアップしガムを噛みながら検疫に向かう。
そこで事件が起きた。
検疫チェックの際、食べ物欄に【何も持っていない】をチェックしていた。
それが、いつもの事だった。
ところが、係員が近づいてきて検疫シートを見せろと近寄ってきた。
食べ物欄には【何も持っていない】とチェックしてるが、今食べてるのは何だ?
ヒロは何気なく【ガムだよ】と答えた。
【食べ物じゃないのか?念のためにバゲージの中をチェックしたいから開けて。】
真っ青になった。ヤバイ。
スーツケースの半分は、タバコ5カートン、焼酎5本、柿ピーや酒のつまみが詰まってる。
英語がわからないフリをして、スーツケースを開かずにいたら、【オープン !!】とちょっとトーンを上げて指示してきた。
仕方なくスーツケースを開けて中身を見た途端に、顔色が変わり何やら無線で話しだしたと思ったら、あっという間に3人に囲まれる。
そのまま別室へ連行。
別室で、洋服をすべて脱がされ、下着一枚になりすべての持ち物をチェックされる。
財布のチャックもすべて開けられ、靴底、スーツケースのカバー、持ち物すべてのチャックを開け、カバンの取っ手までチェックしてくる。
傍らでは、永住者のくせに、英語がわからないフリをした、何度もやってる常習者かもしれない、いろんなヒソヒソ話が聞こえてくる。
そこで本当にヤバイと思ったのが、【ディテンションセンターへ連れて行け】という言葉。
ディテンションセンターと言ったら、出入国管理法違反や麻薬などの持ち込みで逮捕されて入れられるブタ箱じゃないの。
そんな言葉が聞こえてきてから延々と5時間もいろいろと聞かれて絞り上げられた。
延々とひたすら謝って、何とか解放してもらえたが、ペナルティーとして罰金1000ドル。
日本円にして約10万円。
現金を持っていないので、クレジットカードでペナルティーを清算した。
5時間後に、無事に入国はできたのだが、大きな代償を支払った。
全てのお土産を没収され、さらに罰金10万円を徴収され、自分の名前が入国管理局に登録されてしまったのだ。
わかっていた事だが、慣れて来た頃が、一番トラブルに遭いやすい。
今、入国の際の注意として、このような事例を話して紹介をしているのでトラブルはまず起きないが、これから渡航を予定している方は、ぜひ注意をしてほしい。
そして慣れている方は特に万全の準備と注意を払っていただきたいと願う。

セカンドワーホリ申請の詐称で強制送還

なんてバカな事をしたのか。。。。。
彼はオーストラリアにワーホリで渡航し、語学学校に通学し、ローカルのビル清掃の仕事しながら友達も少しづつ増えてきて、順風満帆にワーホリライフを満喫していた。
8ケ月ほど過ぎたある日、【セカンドワーキングホリデービザ】という制度が、新しく出来るらしいという事を耳にし、各方面に情報収集のネットワークを張り巡らせた。
内容はシーズナルワーカーとして、農業、漁業、建築業のどれかの職で、90日以上就労すれば、セカンドワーキングホリデービザを申請できるというもの。
ワーホリビザの残りは5カ月弱。
今から就労すれば、もう一年間オーストラリアでワーキングホリデー(ワーホリ)ができる。
ずっとファーム(=農業)で働いてみたいと思っていた彼は、渡りに船とばかりに、ビル清掃の仕事をやめ、ファーム探しに没頭する。
実際にファームに行ってみると、90日間ずっと働けるモノだとばかり思っていたのだが、収穫時期のみの仕事しかできない。
実際に働けたのは3週間程度。
次のファームを探し、移動し、働いても稼働日数は2週間程度。
ビザの期限がどんどん迫ってくるし、自分で働いてもこのままだと90日に届きそうもない。
そんなモヤモヤのなか、韓国人からこんな噂を耳にする。
【実際に働いた人の就労証明をそのままテイクオーバーして、自分が働いたように見せかけて申請する】とうもの。
実際に、それで取得できたという話があっという間に広がった。
自分で働いても日数が足りそうもない中で、彼は就労証明を譲ってくれる人を探し始めた。
中にはバッパーの人がサインしてくれるよ!なんて言う輩もいる。
バッパーではファームの紹介のみなので、バッパーの人のサインをもらっても意味ないのに、セカンドワーキングホリデーの制度が生まれたばかりで、情報が錯乱してる状態。
しばらくして、彼は実際に働いた就労証明を売ってくれるという人を見つけ出し、これでセカンドを申請できると考え、ファームで稼いだお金で旅行に出てしまった。
後日、購入した就労証明を元に申請をすることになる。
結果、パスポートチェックの際に、購入した就労証明の就労期間中に、ニュージーランドへの旅行がバレてしまい、つじつまが合わなくなってしまった。
働いているはずなのに、なぜニュージーランドへ旅行に行ってるのか?
厳しい詰問の末、セカンドワーホリビザは却下。
そして、そのまま収監させられ、まもなく強制送還される身となった。
今後、最低でも5年間は海外に出る事も出来ず、ましてやオーストラリアにはもう二度と入国が出来ないレッテルが貼られてしまった。
セカンドワーホリを考えている人達は多い。
だが、お粗末な末路に陥る人も少なくない事を知っておいてほしい。

Wish List(願望リスト)自分の人生を変えたモノ

俺は、いったい何が好きで、何がやりたいんだろう?
この先、どんな道が待ってるんだろうか?
どう生きて、何を目指して、どう進めばいいのか?
このままで良いんだろうか・・・・・。
24歳のサラリーマンだった頃、自分に向き合えず、逃避行の連続なのに、不安ばかりが募る毎日。
もう一人の自分が言います。
良いんだよ。今のままで。どうせ、何も見つけられないんだから、何も悩むな。
サラリーマンで、定年退職するまで、今のまま、平々凡々と歳をとって行けば良いんだ。
自分の中で、自分が2人いるような感じ。
歳をとってから、「若い時に、やっときゃ良かった・・・・・」という後悔だけはしたくない。
でも、何をやればいいのか、わからない・・・・・。
みんなが楽しいと言う事も、実はあまり好きになれていない。
スキルが無い、何かに秀でた能力もない、手に職もなく、好きな事も見つけられずに、惰性と無力感とともに悶々と過ごす日々。
ある時、「ラウンド最高!」という言葉が耳に飛び込んできた時、そのラウンドというモノが知りたくて、ラウンドって何が最高なのか?聞いてみた。
話を聞くと、「ラウンド」とは、ほんの少しのお金だけで、自分一人で何とかして周遊(旅行)するという事。
行った事のない場所に、たった一人で根無し草のように放浪して、いろんな人に出会ったり、助けられたり、いろんな事に挑戦したりする事だと言う。
そして、お金が無くなったら、近くのファームで小銭稼ぎをして、また新しいエリアへ移動するスタイルだと。
そんな知らない人の話しを聞いて、今まで、自分から挑戦した事が無かった自分の気持ちが、何となく変化した。
今の自分を何とか変えたい。
何かやらなきゃいけない。
その「ラウンド」っていうヤツをやってみたい。
唐突に、旅行のカタログを集めて、片っ端から漁った。
メチャクチャ美人の女性が、きれいな景色をバックにトップレスで写っている写真、それを目にした途端、そこに行ってみようと。
オーストラリア西海岸の中ほどにある、モンキーマイア。イルカの餌付で初めて成功したと言われている場所。
とりあえず、休みを取って行ってみよう。
行くっきゃない。Go for it !
そう思い立って、すぐにパース行のチケットを買い、翌日飛び立たった。
パースに到着したのは良いけど、勝手がわからず、利用法も分からず、アタフタ。
大らかで優しい人達に助けられながら、モンキーマイアまでの行き方を教えてもらい、何とかバスに乗り込む。
優しいオバサンが、バスの運転手に、モンキーマイアに着いたら、彼に教えてやってくれ、とまで言ってくれたのを記憶してる。
そして、グレイハウンドを利用して、一気にモンキーマイアへ。
バスの中から見る景色が、すごくのどかで、綺麗な風景が新鮮に感じられる。
唐突な行動に、正直自分でも驚いてる。
ボーっと景色に見とれてた時、ふと宿を予約していない事に気づき、大ピンチの時に、必ず頭の中で響くベートーベンの警鐘が・・・・・。
ジャ・ジャ・ジャ・ジャーン♪ジャ・ジャ・ジャ・ジャーン♪
こういう時に必ず僕の頭の中でよぎる運命の音楽。
モンキーマイアまで行って、宿が無かったらどうしよう・・・・・。でも、今更どうしようもない。行って何とかするしかない。
今までの自分には考えられなかった、無計画の旅行スタイル。
開き直りの気持ちになれる自分。
いざ、モンキーマイアに着くと、バスの停留所で看板を持った人達が何人もいる。
ヒッチハイクの時に、行き先が書いてあるようなボードを持ってる。
彼らは、バスを降りた乗客に向かって、名前を聞いてます。
名前を確認した後、その乗客のスーツケースを持って、自分のワゴン車に誘導していく。
何なのか?
最初から、迎えと宿の予約をしているんだろうな、と想像しました。
最終的に、ボードを持っている人が1人残った時、自分に名前を聞いてきました。
自分の名前を告げると、違うな・・・・という感じで、そのまま帰ろうとしながら、自分に宿はあるのか?と聞いてきました。
Have you made your accommo reservation?
ないです。宿を教えてもらえませんか?ついでに、今晩部屋はありますか?
No, not yet.Could you please suggest an accommodation?and can i get a room for tonight?
じゃあ、うちに泊まりなよ!
という事で、その人の宿にお世話になることに。
いわゆるバックパッカーズ。格安の宿。
到着する予定だった客が来なかったから部屋が空いてるとの事。ホント、ラッキーなこともあるもんです。
宿に荷物を置き、すぐにモンキーマイアに向かう。
パンフレットの写真とはちょっと感じは違うけど、家族連れの親子が、イルカに餌付けをしています。
人数制限があって、お金がかかるという事で、餌付けはしなかったが、ここまで一人で来た余韻に浸っていました。
次の日、モンキーマイアから50キロくらい離れたシェルビーチに向かう。
白い貝殻が延々と100キロも続くビーチ。
辺りにはまったく何もない、真っ青な海と白い貝殻のビーチ。
今まで見た事もない景色の中で、ゆったりとした時間、のんびりした感じが、何とも心地いい。
次の日も、次の日も、そして次の日も、近くの売店で買ったサンドイッチとビールを6本持って、朝から夕方まで、ボーっと過ごす。
誰とも会話しない、テレビも音楽も何もない、何も考えない。
さざ波の音と鳥の鳴き声と風の音しかない中で、ただただボーっと。
5日目を過ぎたころ、「俺いったい何をやってるんだろう・・・・」と、生気が戻ってきた時、いろんな不安が頭を過ぎる。
もう一人の自分が、【今のままで良いのか?俺はいったい何が好きなのか?何がやりたいのか?俺には何ができるんだ?どうすりゃいいんだ?】と頭の中で叫んでる。
不安でたまらなくなり、どうしようもない自分に対して、自然と涙が溢れてくる。
情けない。
その時ふと「気になってる事、やってみたい事を片っ端からやるっきゃない!」という気になった。
今回も思い立ったと同時に行動できたし、気になる事を全部やってみよう、と。
そして、バッパーに戻り紙に書き出してみた。
●ダイビングの資格を取って海に潜りたい。
●空から飛んでみたい。
●砂漠の中を、アクセル全開でかっ飛ばしてみたい。
●今のバカ上司を部下にして、アゴで使いたい。
●パリ・ダカールラリーに出場してみたい。
●富士山に登って朝日が見たい。
●週休3日で仕事がしたい。
●チャンピオンズリーグの決勝をVIP席で観戦したい。
●海の近くに別荘を持って、のんびり暮らしたい。
●サーフィンで世界一周してみたい。
●世界中に友達を作りたい。
●アメリカングラフィティの発祥地を訪ねてみたい。
●ツェルマットやモンブランで、スキーをしたい。
●007のように、スキーで国境を越えてみたい。
●10万円でヨーロッパを何カ国行けるかやってみたい。
●セントアンドリュースでゴルフをしてみたい。
●全国のラーメン屋を食いつくしたい。
●英語をマスターしたい。
●金メダルを取った人達と酒を飲んでみたい。
●ヘリコプターを運転して、自由に往来してみたい。
●世界三大なんとかっていう奴を見たい、食いたい。
とにかく、思いつく事、やってみたい事、気になる事を、何でも良いから書けるだけ、書き出してみる。
そして、すぐにできそうな事から、片っ端にやってみることにした。
正直、お金もかかるし、バカバカしいとも思う。
できそうな事をトライするために、夜間のバイトも。
周囲からは、根気がない。何考えてるかわからない。遊びすぎ。いろんな事を言われる始末。
夢と現実の狭間で、呆れている自分と、自分探しに奔走する自分。

今思えば、本当に、もがいて、あがいて、今の自分を変えたい一心だったと思います。
しかし、これこそが、実は【Wish List】だったんです。
そして、このラウンドが、今の自分の原点になりました。
【Wish List】が、自然に作れたのですから。
今の会社の名前【Go for it(= 行くっきゃない!)】は、この時の気持ちなんです。
いろんな事をチャレンジしていくうちに、思い違いや自分に合わない世界が見えてきました。
たくさんあった興味が、だんだん絞れてきて、本当に自分が好きなモノ、そうでないモノ、向いてるモノ、不向きなモノが明確にわかってきました。
その中でも欠かせないことが、人との出会いでした。
新たな出会いが、友達が増えることが、楽しくて嬉しくて、大きな喜びに変わっていく。
気付いた事は、自分の経験というネタが、
人とのコミュニケーションの幅を、広くしてくれるという事。
人との繋がりが、とても大切な財産になるという事。
人が喜んでくる事を提供することが、好きなんだという事。
そして、実際に今やってる仕事(全日空グループの旅行会社)は、自分が輝ける場所なのではないか、と思えるようになったんです。
いろんな人達に出会う事が好きだし、その喜びを仕事に繋げられれば、良いんじゃないか?と考えられるようになったんです。
自分と向き合っていろんな事にチャレンジした結果、旅行業界、サービス業界で頑張って行こう、という考えのきっかけに繋がったんです。
自分が決めた事を後悔しないために、自分の行動が正しかったと、大人になった時に思えるように、とにかく、今を頑張ろう。
そういう答えを自分で出しました。
正直、その答えを見つけられるまで、お金は結構使いました。
危険な目にも何度も遭いました。
ロンドンのピカデリーサーカスで、爆弾テロ事件にも遭遇しました。
中国の昆明で飛行機が墜落しそうになったり、バスが事故って動けなくなったり、アメリカの内部で宿がなくて一晩中車で走りまくったり、ガソリンが無くなって立ち往生して助けられたり、拳銃を突きつけられてお金を取られたり・・・・・
そんな目に遭いながらも、お金が無くなったら、また働いて貯金して、次のWish Listを目指しました。
無駄遣いと思われるかもしれませんが、自分への投資に無駄なお金は無いと考えてます。
今、33ヶ国に友人がいます。
この人脈ネットワークは自分の財産でもあり、今まで生きてきた誇りです。
いろんな事を経験したことで、話すネタは尽きません。
話すネタがあるから、コミュニケーションや会話も途切れません。
友人達とのつき合いも、上っ面な付き合いではなく、太いパイプで繋がっていると思ってます。
いろんな意味で自信がつき、その結果、サラリーマンではない、留学業界の今の自分がいます。
まだまだ実現できていない【Wish List】はたくさんあります。
でも、やってみたい事を片っ端からやっつけて行くことが、今の自分にとってのモチベーションになっている事は確かです。
Go for it !!
未来の扉は自分で開く。信じなければ出来ないし目指さなければ叶わない。
スキルがあるから何かをするんじゃなく、新しい事に向き合うからスキルが生まれる。
このキャッチは、自分のポリシーでもありますし、弊社Go for it/ジョイネットのポリシーです。
単なる一例に過ぎませんが、ぜひ、皆さんも【Wish List】を作ってみてください。
きっと、自分が変われるはずです。
自分の将来を探し出せると思います。

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