ラウンド周遊記~オーストラリア大陸を放浪したツワモノ達~

ラウンド周遊記~オーストラリア大陸を放浪したツワモノ達~

ワーキングホリデーでこんな経験してます!参加者の声を一挙ご紹介!

HYさんのオーストラリア紀行!Vol.1初めての海外。珍道中。

はじめに、ごあいさつ
みなさん、こんにちは。いよいよ私のワーホリがスタートします。
これからこの日記に、現地で起こった事や私の体験した事を書いて送ります。私の体験がこれからワーホリを考えている人たちの参考になれば嬉しいです!
出発の「きっかけ」と「思い」
この国に来てもう2ヶ月がたちました。早いものです。この国に来たきっかけは、私の将来の夢のため。児童英語の先生になりたくて専門学校へ行っていたけど、卒業してすぐ就職も考えられなかった。英語の先生になるなら一度は海外へ行っておきたい。本場の英語を身につけて子供達に教えたい。そんな思いからワーキングホリデーを選びました。留学じゃなくてなぜワーホリを選んだか?っていうと働けるから。海外で働く事はすごく勇気のいる事だったし、そこで学ぶ物も今後の自分にプラスになればと思ってました。お金がなかった事も大きな理由の一つなんだけどね。オーストラリアに決めた一番の理由はいろんな人種の人が暮らしている事!いろんな人と友達になって、いろんな人の考え方なんかが理解できればいいな~って思って決めました。もう1つはオリンピックがあることかな?世界のビックイベントの時に何か役にたてればいいなあ~と秘かに思っていました。
ゴーフォーイットのプログラムを利用してオーストラリアに着いたのが3月30日。日本はまだまだ寒かったのに空港に着いた途端「暑ーい!なんだこの暑さは!まだ3月だぞ!」そんな気分でした。トレーナー1枚になってもまだ暑い!!とりあえず入国審査だ。この列なのかな?いいや並んじゃえ!簡単英会話集を片手に誘導されるままカウンターへ行きました。提出する物は皆が持ってるもの(横目でチェック済み)なんて言うのかな観光かな?ホリデーかな?間違ってたら入国出来無いんだよね。そんな事をずっと考えていたのに、いざカウンターへ行ってパスポートと入国カードをだしたらポンッと判子を押されて終わった・・・。英会話集意味ないじゃ~ん!次はトランク!私のトランクはどこだ?沢山のレーンがあってグルグル荷物が回ってる。あっ!!私のトランクだ!待ってーちょっとー待ってよー手荷物が重くって思うように走れなくって、やっとトランクを手に取れたのはレーンを半周程走った後だった。バカ丸出し。ただ、待ってればいいのに。外国って初めてだから危険がいっぱいで誰かが荷物を持ってちゃう気がしたんだよね~。申告のある人は並んでチェックを受けていたけど、私は何も無いからそのまま出れるのね。流れるままに流されて出会いの場(?)に着いたら私の名前が目に入った。ゴーフォーイットの人が待っててくれました。あ~良かった。もう1人じゃない。ちょっと安心。空港で彼と友達に見送られて1人で泣きながら飛行機に乗って韓国経由で約12時間。寂しかった~!飛行機の中は皆コリアンだし。スチュワーデスさんも日本語しゃべれなくて。かなり1人で切れてたね。なんで日本語わかんないのよ!ってね。それで、1日目はジョイネットに行って簡単なオリエンテーション。
初めて見る外国
感動~~~超カッコイイ!沢山外国人がいる(この時点では自分が既に外国人だという事に気づいていません)!オリエンテーションを終えて3時にホームステイ先に着きました。初めはホームステイする気はなかったんだけど、シェアメイトや仕事を見つけるまではきっと毎日バックパッカーに泊まって食事はきっとマックでしょう?そしたらホームステイと差程かかる金額は変わらないし、バックパッカーのホテルって見知らぬ人といきなり同じ部屋で寝るから安心出来ないと思うんだよね。ホームステイだったら食事もつくし英語の勉強にもなるし。イイ思い出にもなるから。と勧められてホームステイする事に決めました。
初めの希望は子供のいる家庭を希望して、希望どうり9ヶ月と7歳の2人の男の子のいる家庭でした。もうすーごくかわいっくって目もまん丸なの。でも1つ失敗した。この家族はペルーから来た家族で、スパニッシュが母国語なんです。私と話す以外はスパニッシュだから何を話してるんだか全く意味不明。しかもスパニッシュなまりの英語だから聞き取るのも一苦労。泣きたくなったよ1日目で。部屋からは飛行機が見えて、あ~あれに乗っちゃえば日本に帰れるんだ~なんて、来て早々にホームシックなるものを体験しました。しかも毎日夕飯が5時から。子供のいる家庭って結構早いんだね。ハウスワイフはお婆ちゃんでパパとママは共働き。お爺ちゃんは離れの小屋でパソコンで仕事をしているみたい。パパもママも30歳と26歳でかなり若い。結構友達感覚だったな。家族の人たちはすごく良い人達で、すぐ大好きになれた。ただこの家で英語の勉強は難しい。7歳のレスと遊んで少し学べた位かな。ただ自分の気持ちを言いたくても言えない歯がゆさがあって。すごく悲しくなったりもしたな。例えばレスと庭のトランポリンで遊ぶと”Can you do this?”って言ってクルッと1回転するの。バクチュウってやつかな。私が”No,I can’t”って言うと”Why? I can do this,So you can do this! Try ! “って言うんです。確かにやる前から出来ないって決めつけてはいたけど、嫌なものは嫌!それが言えなくて空気は気まずくなるばかり。自己表現が難しい!こんな事で1ヶ月楽しく生活出来るのか?
来て初めの1週間は魔のホームシックディですね。それが終わればもう自分のペースで生活するのに慣れちゃうから楽々楽ですよ~。と、まだまだ私のワーホリは始まったばかりです。みなさん応援よろしくです。

HY さんのオーストラリア紀行!Vol.2初めてのフラット探し。

初めてのフラット探し・・・
入国して3ヶ月が過ぎました。今はアンドラと言う19歳のインドネシア人の女の子と一緒に暮らしています。あっ!という間に終わってしまったホームステイ。やっぱり1ヶ月って短い!でも初めの1ヶ月間は長く感じるんだよね。自分のペースを掴むまですごーく長いの。特に私は学校に行かなかったから毎日何をして過ごそうか。家にいても英語の勉強にもならないし、出かけるにしても1人で観光気分にもなれなかった。とりあえず頭に浮かんだのが次の家を探す事。ステイ先はシティまでバスで40分以上もかかるし、仕事を見つけるにしてもまずは住まいを見つけてから!って言う独断で、ジョイネットの掲示板でシェアメイト募集のはり紙を見たり日豪プレスでチェックしたり。入国3日目で既に探しはじめていたんだ。自分でも探しはじめるの早い気もしたんだけど次の事を決めないとその次に進めないって言う気持ちが自分の中で強くってね。
絶対に譲れない1、2、3?
何かの本で読んだんだけどシェアメイトを見つける時は自分なりに希望をたてといてこれだけは譲れない!って言うのを作るんだって。例えば絶対1人部屋!とか週$100までとかね。私は週$100前後でなるべく1人部屋、シティから近い所。そして1番注意してチェックしていたのがシェアメイトが日本人以外である事!これだけはとか言って結構譲れないの多いよね。いろんな所をチェックして電話してみたけど張り出されて1週間前とかのだともう決まってしまっているのが多かったな。だから毎日朝早く行ってチェックして、前日に張り出されたのを見つけてすぐ電話して次の日に会う約束をして即決!だってね。すごく気に入ったの。$100で光熱費込みセキュリティアパートで、しかもシティからバスで10分。そして11人部屋ダブルベット付き!皆にはラッキーだね、運がいいねって言われたよ。自分でも本当にそう思う。
就職戦線もなんとか異常なし!?
しかも、アンドラに仕事先まで紹介してもらって面接も次の週にしてもらう事になったんだ。本当はすぐ面接でも良かったらしいんだけど心の準備というか履歴書の準備というか・・・(笑)自分的にはホームステイ後に仕事を見つける予定だったから履歴書も作って無かったの。履歴書はジョイネットでパソコンとフロッピーを借りて作りました。履歴書とパスポート、タックスナンバーを持って面接に行きました。丁度人手が足りなくなる時だったらしく、面接の次の日から仕事を始める事が出来ました。やっぱりラッキーなんだと思ったよ。こっちに来てホームステイ、シェアメイト、仕事先を通して皆すごくいい人に出会えて初めての外国は怖いだけじゃないんだ。って、ホント実感できたよ。でも仕事を始めたばかりの頃は疲れたなあ!
「英語を学ぼう!」から「信頼を得よう!」へ変わった自分・・・
仕事先は日本食レストランです。ウエイトレスをしています。このお店は中国人の経営する地元客密着型のお店で、日本人はほとんど来ません。だから日本食レストランだから日本人いるでしょ、って言う私の考えは一瞬にしてかき消されました。日本で英語の専門学校に行っていたから、何とかお客さんの言ってる言葉は分かったんだけど受け答えが出来無いのね。一応ウエイトレスだし丁寧語を使わなくちゃって言う気持ちはあるんだけど毎日OK!OK!の連続(笑)スタッフ同士の会話も殆ど英語だし。自分の言いたい事も言えないって言う悔しさ。すごく味わったよ。仕事始めたばかりって、やっぱりミスはつきものでしょ。だけどね、それを『なんで間違ったんだ!?』って聞かれると何も言い返せないのよ。ただね、それじゃあ納得してくれないのよね。オーナーも自分のお店だから潰さないように頑張って仕事してるし、私のミスでお客が減ったらイヤだもんね。何度辞めてしまおうかと思ったけど、果たしてこの人達が私を信用してくれる日が来るのかしら?って思ったら、とことんやってやろうって気になってきて一生懸命仕事したよ。こっちに来て英語を学ぼう!の次の目標は今の所「信頼を得よう!」です。

HY さんのオーストラリア紀行! Vol.3生活にも慣れてきた頃に。

信頼を得るために、自分から進んで英語を学ぶ!
だから学校に行って無くても勉強しようって意欲が湧いてくるし、いろんな言葉を言えるようになりたくて沢山辞書を引いたりもした。今はなんとか受け答えが出来るようになって来て、オーナーやスタッフの人達とも仲良くやっています。学校に行かなくっても絶対英語は上手になる!って私は思うんだ。って言うのも日本で紹介されている海外の学校ってすごく日本人が多い気がするんだよね。だから少し自分に甘えると日本人同士でくっついて行動しちゃうと思うんだ。話とかもあうし、一緒に買い物にもいけるでしょ。たまにそう言うの羨ましくなるけど外国に来てまで日本人同士でくっついてしまうのも意味が無いような気がするんだよね(あくまでも私の考えだけど)。多国籍に友達を持つと本当に楽しいよ。自分の国の言葉を教える代わりに英語を教わったり、他国語を学んだり。いろんな人に出会って1年間の短い間にすごーく濃い思い出を作るのも楽しいだろうね。
「慣れって怖い?!」でも、自分で気をつけなくちゃダメ。
その為には気を付けなくちゃいけない事も沢山あるけどね。一応外国だし。日本程安全じゃ無いしね。私の今住んでいる所は New town って言う所なんだけどシティからバスで約10分。交通の便はいいんだけど評判はイマイチです。なんでかって言うと空き巣がすごく多いのだそうです。仕事先も3回程空き巣に入られたんだって。あと同性愛者がすごく多いの。仕事先に来るお客さんもよく同性愛者の人達が来るんです。私はそう言うのもう慣れちゃったからなんとも思わなくなったけど初めのうちはビックリしたね。男同士で食べに来てて何か距離が近いなとか思ったら手をつないでいたり、かっこいいなって思うと同性愛者だったり、突然キスするんだよ!ビックリさ!(笑)結構パブや遅くまでやってるお店が多いから酔っぱらって道ばたで大暴れする人もよくいるんだよね。人間「慣れ」って怖いね。信じられない状況も、慣れてしまえば受け止める事が出来るんだもんね。きっと日本に帰ったらなんて平和なんだ~ってビックリしちゃうかもね(笑)だから私は夜バイトが終わったら、前後に人がいないか確認しながら帰ってるよ。夜でもランニングしてる人とかいるから、そんな人達の足音にたまにビックリしちゃうね。一応20歳の乙女だし(笑)夜道は危険がいっぱいだしね。自分の為にも家族の為にも彼の為にも安全に暮らさなくちゃね。皆さんも気を付けましょ~ね。
空き巣」と「スリ」にはご用心!
危険と言えば1つ。携帯を買って2週間でチャイナタウンのパディスマーケットで盗まれました。プリペイド式だったから被害は少なかったけどリュックなんかは前にして持っておかないとチャックを開けられて財布だけ盗まれてしまう事もあるそうです。私もよくリュック背負って買い物に行ったけど絶対誰かが引っ張っていたのよね。すごく重かったもん。振り向くと誰も引っ張っていないんだけどまた少しすると重いのよ。歩くの疲れたよ~。初めから前に持てば良かったんだけどね。バカって言うか抜けてるって言うか・・・やっぱりバカなのかな~?チャイナタウンは、安いお店がいっぱいだけどそれだけ人もいっぱいで危険もいっぱいです。友達もチャイナタウンでお財布盗まれたり車の窓を割られて携帯を盗まれたりしたそうです。被害者にならないように常に気をつけて暮らして行かなくちゃ、後で泣くのは自分だしね。ちょっとガードが堅いくらいが丁度良いのよね、きっと。うん、絶対そうだよ。そうだそうだ。うんうん。
新しい家へ引越し!オーナーは自分達!
だんだんと Sydney や New town に慣れてきて7月に新しい家にも引っ越して、今はハウスに3人で住んでいます。アンドラと愛子ちゃんと言う日本人の女の子と私。オーナーは私達でこっちの不動産を通して契約しました。他のワーホリの人達とは少し違うかもしれないけど、自分達の家を持てて何もかも自分達でしなくちゃダメですごく楽しい毎日です。引っ越してまだ洗濯機も冷蔵庫も無い頃に、お風呂場で洗濯して庭に干したんですけど、その時知らない間に毒蜘蛛に左手首を刺されてしまいました。プクーって水膨れみたいなのが出来ていて、中の水を出したらジンジンジンって痛みと痺れが広がって1週間左腕が痺れたままでした。幸い、私の場合は痺れのみでおさまったんですが、赤ちゃんなんかが刺されると死んでしまうそうです。オーストラリアに沢山いる蜘蛛でどこの庭にも公園にもいるそうです。日本でも前に有名になった『背赤ゴケ蜘蛛』と言う蜘蛛です。知っていますか?病院には次の日に行きました。一番心配していたのはお父さんだったかもしれないな。病院に行く時、海外保険の紙を日本に置いてきてたから、急きょ日本に電話して「毒蜘蛛に刺されたから保険証を送って~!」って家に電話したのね。とりあえず先にファックスで送ってもらって、病院で処置してもらってから家に帰ったらシェアメイトが「お父さんから電話あったよ『はるこは大丈夫ですか!?』って聞いてきたよ」って。「えっ!?何で??」って思っちゃったよ。日本にいた時はお父さんがお酒を飲む度になぜか私に怒鳴ってきて、そんなお父さんが大嫌いだった。お父さんも私の事嫌いだと思ってたし。早く家を出たいってずっと思ってた。心配してくれたのか・・・って思ってちょっとビックリしちゃった。その次の日の朝も電話があって私が「Hello?」って出たのね。そしたら「はるこぷり~ず、はるこぷり~ず」って日本語?それとも英語??って位、変なアクセントで話す人だな~って思ったらお父さんだった!(笑)電話の内容はやっぱり怪我の事だった。「どうだ?」「うん、大丈夫」「そうか。気をつけるんだぞ」「わかってる」「じゃあな」「は~い」すごく言葉数の少ない内容だけど私には十分な気がした。こっちに来て親元を離れて暮らして、いかに家族が私の事を心配してくれてるかがわかった。家族だけじゃなくって、私の彼も彼の家族も私の友達も皆応援してくれてて私はとても幸せだと思う。その点、お母さんは保険証と一緒にお手紙をくれて「今度、毒蜘蛛に刺された話楽しみにしてるね~」って、『それだけか~~!!』さすがお母さん。心も体も大きいだけあるよ。ビックリだね。お母さん、毒蜘蛛話し楽しめましたか??(笑)

HY さんのオーストラリア紀行! Vol.4オーストラリア満喫!

オーストラリア最高!
オーストラリアは私にとって最高の国です。ちょっと嫌なこともたまにあるけれど、今は自分の時間が有効に使えるようになりました。私は何かを作るのが好きで、よく行くお店はシティの QVB の後ろにある布地屋さん。冬に入った頃、薄いお布団じゃ寒すぎて毛布を探していたんだけど私のベッドはダブルベッドで、買うと高いから作っちゃえ~!って思って1メーター$5の布地を3メートル買って毛布を作っちゃいました。暖かいよ~!!
最近、スケボーに夢中です!
この頃スケボーを始めました。友達が皆スケボーしているので私も滑りたくなって、良い機会だと思って始めちゃいました。もう転ぶ転ぶ!頭打ちそうになるし運動神経ないから上手にならないし筋肉痛だし。でも、スケボーしてると沢山友達出来るし頭の中がスッキリするから好きです。
日本人のスケーターは少しいるけど女の子のスケーターはあまりいないみたいで練習してると浮いてるように見えるのは私だけかな??友達は皆すごく上手でガンガン飛んでるんだけど私は滑るので精一杯。でも楽しいから止められない。
甘党の私がはまってるもの!
そして、もう一つ、今はまっているのが Iced chocolate って言う飲み物。
カップの内側にチョコレートシロップを沢山塗って、牛乳とアイスクリーム入れてトップには生クリームとチョコレートの粉がかかってるの。甘党の私にはもう絶品!新しいカフェを見つけたら片っ端から飲んでいってたんだけどその結果3ヶ月で7キロ元気に太りました。だから週末はプールに行ってみたり、歩く時も異常に競歩みたいに歩いてみたりしてるんだけど、まだ全然効果が表れず、痩せてない。さすが肥満大国。
世界中の食事が出来る。それもホント美味しくて安い!
でも、美味しいよ。こっちのレストラン。多国民だからいろんな国のレストランがあってランチタイムなんかは$6位でお腹一杯になれます。お昼はみんなそれぞれのスタイルだけど私は朝のバイトに行く時、時間がなくてパンかじりながら出かけるの。日本だとあまり見かけないでしょ。
物食べながら歩くのって。でもこっちって当たり前みたいで、すんごい気楽。いつでもどこでも好きな時に食べれるの!だから太るのかな??あと、飲食業で働くと賄いが付くのね。従業員販売のような物もあって割り引きで買えたりするからバイトしてると、とりあえず食事に困らない!
食べれれば暮らせるやって思っていたから賄い出たらどんどん食べる!ぶくぶく太る!!最悪なサイクルだね。
たくさんの経験を積むために、違う仕事もチャレンジします!でもその前にラウンドへ
オーストラリアでは、ずっとウエイトレスをしているから、もう少ししたら違う仕事にもトライしてみたいって思っています。こっちは経験重視だから今までの経験が大切なんだけど、私はずっとウエイトレスや飲食業だけだったから出来る仕事も限られてしまうんです。でも私の良い経験を作るためにもベビーシッターはぜひともトライしてみたいって思っています。オリンピック期間中はシティの『もみじ』というお店でお弁当売ります。食べに来て下さいね。オリンピックが終わったら私は2ヶ月位の小さな旅行に行こうかと思っています。西回りで飛行機とバス・電車を使ってオーストラリアを半周ほどしたいな~と思っています。これからプランを練って楽しい旅を作りたいと思っています。

HY さんのオーストラリア紀行! Vol.5いざラウンドへ

いよいよラウンドへ!
この旅で、なんとかこの元気なお肉たちを削ぎ落としたい!私は今、1人で知らない街に来てホテルでもらった地図が1日でぐちゃぐちゃになる位歩いています。はっきりいって心細い!!英語もろくに話せないし、しかも超方向おんちときたもんだ。10月12日にシドニーを出て、11時間バスに乗って、メルボルンに着きました。バスで寝れるか心配だったけど、席が混んでなくって途中から2つの席を使う事が出来たので、ごろんと横になってみました。バスの休憩時間に水を買っておいて良かった!2~3時間おきにのどがかわいて目がさめて、水を飲む、のくり返しでした。エアコンがきいてるからだと思うんだけど、とにかくノドがかわきました。でもメルボルンに着いた時、私はバクスイしてて、着いた事にも気付かなくってバスの運転手さんに「もう着いたよ。早くおりてくれ。」って起こされてしまいました。
まずは拠点。とりあえずホテル探し!
朝6時に着いてとりあえず PICK UP してくれるホテルを探して、私は HOTEL SPENCER という所に泊まりました。1泊$16(ドミトリー)。このホテルはシャワーの出もいいし、1番上は共同キッチンで結構きれい。ホテルのおばさんはとてもいい人で、1つのドミトリーに日本人の女の子ばかりいれてくれて、私の今の部屋には私を含めて4人の日本人がいます。これから行く土地の事やチーズケーキが毎晩出るホテル、女の子しか泊まれないホテル、サメ漁のできるホテル、いろんな情報を頂きました。感謝、感謝。今日はメルボルン3日目です。初日は前「もみじ」で働いていたあきこちゃんと言う人に会えて Queen Victoria Market に行って、ごはんを食べて、無料トラムを見つけて2人で歩いて乗りこんで。でも、このトラムで私達はとてもこわい思いをしました。
おいおい!いったいどこへ?1周するんじゃなかったの?
メルボルン、この CITY と呼ばれる所は長方形になっていて、無料トラムはこの長方形をぐるぐると回るものだと思ってて、「乗った場所に戻ってきたら下りればいいよね。」って2人で言ってたんだけと川を下って~、ビルが見えなくなって~、終点で~す!「ここはどこ?」「ビルが見えなーい」とりあえず歩いてるおばさんにCITY周辺の地図を見せて“We’re lost. Please tell us. where are we?”と聞いた所、おばさんは困った顔をしました。なんでかな?と思ったら今いる所はどうやら地図外。トラムの地図をたよりに歩くこと2時間、ちょうど駅がありました。「もう歩くのつかれたから電車で行こう。」と言って、路線図を見たら CITY までまだまだ遠い場所だった。駅見つけて良かったねー!いい思い出だ。初電車ー!!あきこちゃんはこの日がラウンド最終日で、午後7時のグレハンで SYDNEY に帰ってしまい、あきこちゃんはもういません。ちょっと悲しい。日本でまた会いましょう。日本を離れたときはカルチャーショックになったけど SYDNEY を離れたら SYDNEY ショックになっちゃった!それほど私は SYDNEY が楽しかったんだと思う。MELBOURNE に着いて計5回友達に電話しました。「まだ SYDNEY 離れて2日ですよ。なんでこんなに電話してくるんですか。しっかりして下さいよ。」と言われました。ごめんなさーい。でも I miss my friends です。また飲もうね!
ちょっと情報!
マックの30¢アイスには、チョコバージョンがありました。パースにはミックスもあるそうです。ハングリージャック(日本のバーガーキング)の30¢アイスクリームはとってもコクのあるアイスでマックよりも多少大きいそうです。ちゃんちゃん!
PS.ちゃんとダイエットしてます。昨日はお茶づけで、今日の夜ごはんはとうもろこしです。お金もないのでちょうどいいです。

HY さんのオーストラリア紀行!Vol.6ラウンド紀行。

私は今、パースにいま~す!
今、私はパースにいます。明日はモンキーマイアに向かいます。今まで旅をして来て色々な人に出会えてこの頃旅って凄く楽しい!!って思うようになりました。それと同時に「一期一会」って言葉が私の頭の中をグルグル回っています。私は泊まるバッパーを地球の歩き方を見て決めてるけれど、そこに書いてあるホテルは殆どって言うか絶対日本人が泊まってるんだよ。やっぱり皆見る旅の本なんて一緒だしね。でもね行く先々で日本人がいると、やっぱり日本人と同じ部屋になる回数も話す回数も多いでしょ。私は自分の英語力なんてたかが知れてるし、どうせ自分から話しかけても続かないだろうって思って外人の人と話すことを避けてたんだ。それにもし自分が外人と話していても向こうの言ってることがわかんない時は「Oh~」って、とりあえず言っておいたのね(笑)とにかく今思えば英語を話して Sorry? って聞き返されるのが恐かったのかな?外人サンも進んで日本人と話そうとする人少ないし。
でも、こないだ行ったエアーズロックのツアーで私は変わったよ!そのツアーは2泊3日のキャンプツアーでその時日本人は5人いて、他の人はアイルランド人とかだったのね。私達はやっぱり日本人で固まってて日本語を話してると外人は話しに入ってこれないでしょ。そんな状態で3日間過ぎて、最後の夕食はクラブでフリーピザだったのね。その時、私達の隣にアイリッシュ人が座ってて話しかけてきたのね。でも私の中では「ワカリマセーン、ゴーメンナサーイ」だったのよ。そしたらその人達の優しいこと優しいこと。何か言われてわかんなくて首をかしげるとゆっくり話してくれて、それでもわかんないともっと簡単な英語で説明してくれたのね。私の友達は発音が聞き取れなくってメモ帳を出して会話してたのね。
そしたら現在形はこれだけど過去形にするならこうするんだよって丁寧に教えてもらってたんだよ。今までの私は英語から逃げてたんだって実感したよ。英語を学ぶために来たのにやっぱり日本人の環境に慣れてしまってた自分が情けない。そのアイリッシュの人達とはもう会うことも無いと思うけどもう一度会って今度はもっとお話したいな、って思ってる今日この頃です。
ワールドワイドに英語でね!
今スティしてるホテルは、皆な仲が良くって毎晩一緒に飲んだりビリヤードしたりして楽しいバッパー生活を送っています。もちろん日本人同士ばかりでお話はしてないよ。Worldwide な感じです(笑)。今のバッパーでも親友のようなお兄さんのようないいお友達が出来ました。その名も CRAIG 。オーストラリア人で旅が好きでメルボルンからバイクでパースにきたんだって。毎日英語教室開かれてます(笑)PERTH って発音難しくって誰に言っても通じなくって教えてもらってやっと通じるようになったよ。あと思ってる事とか言うでしょ。間違ってたりすると直してくれるし、ゆっくり話してくれる。それに汚い言葉、例えばむかついて FXXK !!って言うと、そんな汚い言葉は使っちゃ駄目だよっていつも怒るし。
とてもいい人なんだけどやっぱり一期一会。会うことも何年か何十年かないでしょうね。もう会わないって方が正しい気もするし。寂しいね。でも CRAIG に会えたことはいい勉強になりました。どうもありがとう CRAIG 。
最後に1つ。昨日ロッキンハムのドルフィンスイミングにいってきました。イルカに会えた!!イルカは 海の中で踊ってたよ!!最高だった!船酔いしたけど一緒に海の中で泳いだよ!!私の一番のおすすめです!!お試しあ~~れ!!

HY さんのオーストラリア紀行! Vol.7ラウンドを経験して。

最高の思い出です!
2ヶ月弱のラウンドでオーストラリアを1周したけど、凄く自分の中でいい経験になって良い思い出を作る事が出来ました。訪れた場所は計14箇所。その中でも特に綺麗な場所は西オーストラリア。私はパースからダーウィンに向かって行ったけど、それぞれの場所でいい思い出があって、モンキーマイアではイルカに餌付けできて凄く嬉しかった!でもモンキーマイアを町だと思い込んでいたから食料も持ってなくて結構辛かったな。
リゾート地だからレストランはあるんだけど高いから食べれないし。コンビニで売ってる食料もリゾート地価格ってやつ。しかもイルカが来る時間が過ぎると何もする事がないの。とりあえず釣りしよう!って釣りして奇跡に近い形で小魚が1匹釣れたんだけど蛍光色でちょっと怪しい。でも釣った時、周りに外人さん達がいて、しかも私”MY DINNER!!!”なんて叫んでしまったもんだから(これはなんとしても食べなくちゃ)って心の中で戦って、夜、塩焼きにして食べたんだけど案の定、朝5時から歩けない程の腹痛で起きてトイレまで這っていったけど死ぬかと思った!
そんなモンキーマイアに2泊して次はデナムに行きました。デナムからシェルビーチとストロマトライトツアーっていうのに行ったんだけど私の中ではシェルビーチだけで十分だったな。っていうのもシェルビーチは本当に凄いの。一面見渡す限り白い貝のビーチで最高なの。ストロマトライトって世界最古の生物らしいんだけど、私には小さな岩にしか見えなくてこれが世界最古の生物です!なんて言われても生きてんのコレ?って感じで(笑)とりあえず記念に写真撮って満足。
デナムの次に行った場所はカナーボン。カナーボンは2泊の予定だったんだけど、余りにも居心地が良くて結局8泊もしちゃいました。お仕事もしました。1泊2日で潰れたキャラバンパークのお掃除に行って、トマトピッキングをして凄く暑かったけどいい経験になった!力仕事が、ここまでハードで終わった時に達成感ってやつを感じる事が出来て最高だね。お仕事しない日は朝起きて町を1周してって言っても町小さいから20分で終わるんだよね。そのあとはお昼寝したり絵を書いたり友達と話したりして夜は皆を誘ってシェア飯してビール飲んで眠くなったら寝る。とても楽しい毎日でした。1回海に伊勢海老を取りに行ったんだけどポイントがわかんなくて結局珊瑚にくっついてたウニを2個取ってバッパーで食べようとしたんだけど中身なし。そんな思いでも良い思い出でかな。カナーボンは私の中で一番好きな場所になりました。
カナーボンの次はブルーム。ここでもまた良い友達に出会えてずっとバッパーにいました。ブルームでは暑さに負けてしまってどこにも行く事が出来なくて結局自分に甘えてしまっただけなんだけど最後の日、バス出発2時間前に友達が車でケーブルビーチに連れて行ってくれて、ラクダの行進も見れて凄い良い思い出を作る事が出来ました。
ダーウィンの2日間は自分の中で充実してたな。1日目はクロコダイル Jumping に行って2日目はレンタサイクルして雨の中エキシビジョンセンターに行ってきました。エキシビジョンセンターは昔、真珠取りをしていた様子や潜水病で亡くなった人達のお墓?の様な物があって、しかもその時働いていた人達の殆どは日本人でちょっと驚きました。
ケアンズでスカイダイビング!
ダーウィンからは飛行機を使ってケアンズへ行き、ケアンズで14000フィートからスカイダイビングをしました。恐怖心よりも好奇心が勝って終止笑顔。空から飛び下りる事があんなに気持ち良いなんて初めて知った!!もう一度飛びたいな。ケアンズでは夜フリーミールがあってかなり食費が浮きました。あんまり美味しく無いけど友達できるし帰りはナイトマーケット見て帰れるし。楽しい日々を過ごせました。
ケアンズの次は最後の都市ブリスベン。ここでの目的は友達に会う事。シドニーで同じバイト仲間だった人がブリスベンに移動してどうせなら会おうかって事で再会。お家にも泊めてもらって1週間楽しく生活しました。最後の夜はお別れ会を開いてくれてシェアメイト皆でカラオケに行ってお寿司食べてラウンドを締めくくる日はとても豪華な一日でした。ありがとう。大亮、マサ君、そうし君。
変わった自分!
ラウンドして私の中で変わった事は、外人に文句を言えるようになった事。もともと気が強いから言いたい事は言わないとって所はあったんだけど、その考えを強くしたのはあの事があってからかな?それは、バスの中でずっと足を触ってくるおじさんがいたのね。私が寝てると触ってくるのね。3回くらい触ってきて最後には怒って Don’t touch me!!って言ったんだ。それから2日後バスで移動する日、またそのおじさんと一緒になってまた懲りずに触ってきたのね。もう私も切れてしまって What!? Don’t touch me!! I said you before! って大声で叫んでしまったよ。思い出してもムカツク!でも外人に対して文句を言えるようになったのは事実。おかしい。って思ったらすぐ聞くようになったし。人によってはアジア人を嫌いな人もいるようで小さな差別を受ける時もあったしね。日本人は何を考えてるのかわからない気持ち悪いって外人が思うなら言ってやるよ。思ってる事を。くらいの勢いを大切にしないとね。ラウンドを終えて私は痩せたようです。少し肉は取れたみたい。結果的に4.5キロ減。良かった~~!!結果よければ全て良しって事で私のラウンドは終わりです。

HY さんのオーストラリア紀行! Vol.8 ワーホリ終了!

1年間ってあっという間でした!12月中旬にラウンドから帰ってきて、生活費も底をついてきてたので働かなくてわ!!って思っていたんだけど、その時につき合っていた彼や専門の時の増子が遊びに来て、働くことは出来ませんでした。でも私は Sydney 観光をしていなかったからいい機会だし、って事で思いっきり観光しました。日本からの友人が皆帰ったのが1月15日。そこから仕事をしよう!って思ってずっと興味のあったベビーシッターの仕事を探したけれど「最低6ヶ月働ける人」という条件を満たせず、ずっと誘われていた、ジャパレスの浅草で再度働く事になりました。オーナーのKevinはすごく喜んでくれて、私としてもすごくうれしくなりました。浅草で働こうって決めたときはすでに前の彼と別れ話をした後だったので、ちょっと落ち込んでいました。
何か新しい事をしたいって思っていて仕事をするのもいい選択だったんだけど、その時シェアメイトだった良さんという人と仲良くなって、良さんのタスマニアのラウンドについて行ってしまいました。良さんは、アンドラがインドネシアに帰ってる間だけアンドラの部屋に入っていた人で、約1ヶ月間住んでいました。増子がいる間、私と増子と良さんで飲みに行ったり遊園地に行ったりしてすごくいい仲間だったんだけど、増子が日本に帰ったその後すぐに、彼と別れて落ち込んでいた私をなぐさめてくれたのが良さんで、仲間から好きな人に変わってしまったのは事実だから、自分の気持ちを確かめるのもあってタスマニアの旅行についていきました。タスマニアへはメルボルンからフェリーで行くんだけど、良さんは車を買ってラウンド目的で渡豪していたので、タスマニアへももちろん車で行きました。
良さんはあまり英語が話せなく、私がほとんど電話で予約する係。メルボルンまでは何の問題もなく行けたんだけど、フェリーの予約をメルボルンで入れたら車のスペースが1週間後の日曜日まで無いという事で急遽、次の日曜日までバララット→グレートオーシャンロードと小旅行をしよう!という事になりました。良さんは友達の結婚式で、一緒に旅をしていた友達は観光ビザで帰らなくてはいけなくて、ただでさえ時間がないのにタスマニア IN が1週間遅れてしまってタスマニアにステイできるのは実際1週間~10日間で、何事もなく無事に回れればいいねーなんて思っていたのに。神様のイジワル。
タスマニア行きフェリーの前日、メルボルンに向かっていた時、車に異変が。なんとマフラーがはずれてしまったんです。すごい爆音をあげて走る車を良さんは恥ずかしい!と言って、くねくね山道を時速100km以上で走ってやっと町に出たーと思ったら、土曜日のお昼過ぎ、トヨタの整備工場は閉まっていて「月曜日に来て」って言われたけど月曜日はタスマニアなんです~、助けて下さい~ってお願いして近くのマフラー Shop を紹介してもらって30分位で直ってしまった。良かった~!!みんな気分良くその日の夜はメルボルンのカジノで遊びました。カジノの上のクラブも行って楽しかった。
タスマニア最高!
やっとの思いでタスマニアに入ったらびっくり!タスマニアってすごーく狭いの!1週間のステイでも全部まわれました。魔女の宅急便のキキのパン屋さんを始め、カリオストロの城、ラピュタの木、そしてポッサム。タスマニア最高~!!自然サイコ~!!このまま無事に Sydney に戻ろう。皆がそう願っていたのと裏腹に良さんだけはそれが無理だって知っていたんだよね。
キャンベラへ向かう途中、メルボルンから100km離れたハイウェイの上で事件は起きました 突然エンジンがボン!!ボンボンボン。エンジンが死にました。3人で車を押して路肩に置いて私と良さんで緊急電話を探しに歩いて4キロ、レッカーを頼みに近くの町に行きました。車屋のお兄さんたちは「車は死んでるから新しい車を買いなさい!」ってそれしか言わないの。みんな車に愛があって売りたくない、そんな交渉を丸1日続けて代金は1キロで$1.5、Sydney まで約$1200。
次の日、私たちは車と一緒にトラックに乗って帰ってきたけど、タスマニアの旅行は山あり、谷ありって感じで最高にいい経験になりました。旅行を終えてシドニーに戻ってきて私に残された時間は約2週間。残された時間を良さんと、そしてアンドラを含む友達で楽しまなくちゃって思って残りの時間、皆でいろんなとこに行ったりしたけど、やっぱり淋しい。これが最後なんて思ったけど日本人なら日本で会えるじゃない?ただアンドラとは今度いつ会えるのかな~なんて考えると淋しくて淋しくて夜は毎日つらかった。
日本へ帰る前日は、もみじのスタッフを始め10人近くの友達が集まってくれてすごくうれしかった。空港へは良さんとアンドラと愛子ちゃんが見送りに来てくれてボロ泣き(私だけ)。近い将来、私はぜったいアンドラと再会したいし、また AUSTRALIA に戻りたい。AUSTRALIA という国は私にとって第2の母国です。
これから行きたい、と思っている人はぜひチャレンジして下さい。一期一会を実感できるし、後悔はしないと思います。自分を信じて行動する事は、とても大切な事です。私は AUSTRALIA が大好きです。ゴーフォーイット(ジョイネット)の皆様、今までどうもありがとうございました。そして、AUSTRALIA で出会った方へ。またいつか会いましょう。
追伸。その後、良さんと Haruko は結婚しました!双子の赤ちゃんも出来て幸せです!

JN さんのオーストラリア紀行! Vol.1ラウンド出発!

はじめに、ごあいさつ
みなさん。こんにちは。中村淳子です。渡豪後、2ヶ月間語学学校に通い、その後、人生最大の大イベント!生まれてはじめての一人旅をしてきました。シドニーからスタートした私の一人旅は、オーストラリアの東半分を5ヶ月間かけて1周!!今回は自分流のラウンド体験談を紹介します。
バイロン・ベイへ
一番最初の目的地はシドニーから北へ約700キロ離れたバイロン・ベイ。7:30am に到着して、すぐにバックパッカーにチェックインして、13時間の長距離バスで疲れた体を癒すためにちょっと休憩。ドミトリー・ルームの人達はまだ熟睡していたので、そっと私のバックを置きました。目が覚めていた私は、バッパーで自転車を$20でレンタルし、いざ広大な南太平洋へGO!その途中かわいいカフェやサーファーショップが並ぶ商店街を発見。飾りすぎず、気取り過ぎない街。それらは私の冒険心を掻き立てる物でした。
今は8:30am。朝靄が街を包んでいて、すっごく心地いい住みやすそうな街中を走っているうちに、気持ちも高揚してきた私は元気にペダルをこぎ、一気にビーチまで走りました。そして一休み。長い間自転車を乗ることがなかったため、あっというまに息切れして・・・。遠くを見ると灯台が見える。「よし。行ってみよう!」右手にとても上品な住宅と濃い緑をつけた木々、そして左手には青い海が見える。林の間をくぐり抜け、坂道を上がって、もうヘトヘト・・・。でも、それからすぐに真っ白で巨大な灯台に到着し、その下には歩道があり、そこからの海の眺めは最高です。そして時折、海の表面から顔を出すクジラとイルカ達が見え隠れしてる!昨日からの疲れは癒された様な感じでした。ボーっとベンチに座って海の風を体で受けていると、「遂にラウンドが始まったんだー」という実感がようやく沸いてきたのでした。
街の雰囲気はサイコー!
それから来た道を戻り、お腹がすいたので街中のカフェで$7のランチを食べ、ゆったりとした午後を過ごしました。街並みを観察していると、眠っていた朝とはガラッと変わっていて、街を行き来している人たちがとても楽しそうで、毎日を充実して生活しているような雰囲気が伝わってきました。まさに予想した通りの雰囲気の街です。こんな街に、の~んびりと住めたらいいなあ・・・。
何もかも初めて見るものばかり・・・
そうして夕方、バックパッカーに帰ってきて、ホテルの中をぶらぶらと物色。いろいろ珍しい物や興味の引かれるものばかりで飽きません。共同バスルーム(男女別)、中庭、そして、キッチンを見に行ったとき、お皿もコップも見当たらないのです。ルームメイトにその質問をすると、どうやら食器類は$2で買えるらしい。その他、洗濯機、ドライマシーンも$2、洗剤は50¢で売られている。私はこの環境の中で生活していくと思うと、早く慣れる必要性を感じました。これから長いラウンド生活、不便な事や辛い事があっても乗り切って行こうと。
うそー!まじー!信じられないよー!
まだ早い時間なのにすごく眠たい・・・延々とバスに揺られてきたから、昨日はほとんど寝れなかったせいだろうか・・・。何か忘れているような気がする・・・。「あ!明日のバスの予約するの忘れてる!!」。急いで電話したので焦って言葉がうまく出てこないヨ~。でも無事に予約が取れて安心しました。が・・・ここでビックリです。なんと、私のベッドの隣の人が男の人なのです・・・。ドミトリー・ルームって男女別の相部屋のはずじゃなかったの・・・?えー!まじでここに寝るの・・・?なんやかんやしましたが、まーこんな感じなのですね。これも良い勉強と前向きに考えようっと。さあ、明日はブリスベン! 楽しみだ!

JN さんのオーストラリア紀行! Vol.2素敵な出会い。

ブリスベンにて
長距離バスを降りて、到着したのはブリスベンの大きくてキレイなバスターミナル。ここには、トランジットセンター.ホテルやバックパッカ-ズホテル、ツアーのインフォメーションが全て揃っています。そこから早速、予約済みのバックパッカーホテルのお迎え車(バン)に乗り込み、オーストラリア第三の都市を眺める!V字の様に流れているブリスベン川の上に掛かるヴィクトリア橋を渡ると、シティと呼ばれる内側部分からサウスブリスベンにエリアが変わります。ここに見所が集まっています。
ビクトリア端とシティ内のクイーンズストリートモールは一本橋でつながっているので、ショッピングの時は迷わず行く事が出来ました。また、街を見渡す様に立つ時計台のシティホール。ブリスベンのシンボル的存在と言うだけあって、外装の造りも内装の大理石も階段も素敵です。シティの東部分を多く占めるのはボタニック・ガーデンです。この植物園には色とりどりの花が咲き、突然オオトカゲが顔を出す。まるで1つの大きな森のような感じがします。サウスブリスベンの川沿いには、クイーンズランド博物館や美術館、サウスパークランド。ガイドブックに書かれている観光スポットの大半は徒歩で行けるコンパクトな都市です。徒歩に疲れると、クイーンズランドを代表するビール「XXXX」フォーエックスを飲んだり、Cafe でケーキとカプチーノを楽しんだりしました。サウスパークランドは、私にとって一番居心地の良い公園でした。敷地内には、手の込んだつくりの噴水や、ジュース、パイを売る黄色のトラック。いつも私が座っていた広い芝生の前には、色々なお菓子を砕いて混ぜてくれるオシャレなアイスクリーム屋さん。更に奥に進むとプールがあり、人工の砂浜になっています。人もカモメも泳いでいました。ここは絶対にオススメです!!夜と言ったら、目指すはヴィクトリア橋です。ブリスベン川にシティのネオンが映って揺れています。リバーサイドに光々と輝く高級カジノ。本当に豪華でした。
バックパッカーにて、人の出会いって不思議
私のバックパッカーはシティより徒歩20分のサウスブリスベンにありました。部屋の中には5つのベッドがあり、洗濯物は脇に吊るしてありました。夜にはルームメイトのラジオが静かに響きます。近くの Cafe でオージーにチェスを教えてもらったり、バンド演奏を聴いて楽しみました。通うごとにみんなと仲良く英語で喋れるようになったので嬉しかったです。そこで知り合ったオージーのおじさんの家で、ホームステイしながら娘さんに日本語を教えることに!おじさん夫婦と娘さんは優しくて、明るくて、とても素敵な出会いでした。勉強が終わるとディズニーの音楽に合わせてダンスをしたり、おじさんはギターを弾いて歌ったり、手作りピザを一緒に作ったりして、オーストラリアの家庭に入り込んで幸せな日々を送りました。日曜日には家族と一緒にムービーワールドに行ってきました。ムービーワールドはハリウッド映画の世界を実際に体験できる遊園地ですが、その他にポケモンのアトラクションもあって、子供と一緒に手をつないで行きました。アトラクション内の早口英語が聞き取れなくて残念…。
神秘的なフレーザー・アイランド!
さて、楽しかったブリスベンを後にして、向かうはハービーベイ。この日、世界最大の砂の島と言われるフレザーアイランドの1日ツアーに参加しました。小さなフェリーに乗って、緑と青がくっきり分かれている海の色を近くで見ることが出来ました。印象的です。所々の海はとても浅くて底が良く見えたりもしました。島に着いて大型バスに乗り、不安定な真っ白い砂の一本道を走りました。大きく左右に揺れていてコワイ!その途中に、熱帯雨林が延々と広がっています。コーヒーブレイクの時はその中に入って行き、上から所狭しと差し込む太陽の光、湿った空気、こけに覆われた古くて太い木々に囲まれてリラックス。フレーザーアイランドにはまったく人の手のつけていない神秘的な湖とビーチがそのまま残っています。また白いビーチに打ち上げられている錆びて砕けたシップレック(難破船)は感動的です。その隣では小さなセスナが離着陸していました。砂浜から飛び立つ光景はいい。別途料金で30分位のフライトが楽しめるとの事でしたが、今回はやめておきました。でも、きっと上空からは島を囲んでいる白いビーチと熱帯雨林、青い海が鮮やかに見えるでしょうね。
~余談~
ブリスベン初日、私が乗るバックパッカーズホテルの送迎バンがタクシーと衝突してしまいました。どちらが悪かったのか分からなかったけど、とにかく頭と肩を窓に強くぶつけて、ムチウチになるハプニング発生!!病院へ行き、レントゲンを撮りました。海外旅行傷害保険に入っていたので無料でしたが、新しい土地に着いたらすぐに病院の住所と連絡先を調べておいた方がいいですよ!この時は本当に困った。ちなみに異常なしでした。

JN さんのオーストラリア紀行! Vol.3もっと遊びたい!

ケアンズにて
ハービーベイからケアンズまでは23時間の長~いバスの旅でした。その間車窓から見たものは温帯からトロピカルな熱帯に変わっていく光景の違いでした。サトウキビ畑とバナナ畑が地平線まで広がっていました。ちょうど収穫期でサトウキビを運ぶ列車や砂糖工場は活気に溢れているようでした。
ケアンズ市内の中心となるのはシティプレイスです。旅行会社やレストラン、ショッピングアーケードなどがあり、1日中賑やかな場所です。そこから海に向かって歩くと、やしの木が並ぶエスプラネード通りに突き当たります。泥に覆われた海岸と、戦争の傷跡が残る大砲、銅像がありました。ケアンズのメインストリートであるアボット通りで偶然にもオリンピックトーチを発見!お店のショーウィンドウに飾ってありました。私は虫のように窓に張り付いてみると、中から店長さんが「私の夫が100m走ったのよ。」と声をかけてくれたのです。触れさせてもらえて嬉しかったです。ありがとうございました。
ケアンズは、ツアーのメッカです。美しいさんご礁の海がどこまでも続くグレート・バリア・リーフでは、スキューバダイビングやクルージングを楽しめます。私はエキサイティングなラフティリングに挑戦しました。ケアンズから南へ下った所にあるタリー川に向かいます。このツアーには1人だけ日本人インストラクターがいたので、もし怪我をした場合でも安心だし、何よりもジョークが面白かったです。救命胴衣とヘルメットを着用してボートに乗り込み急な滝や岩の間をすり抜け、激流のスリルを味わいました。川の両サイドには熱帯の景色があり、鮮やかな青の蝶もキレイです。気温は時間が経つにつれて上昇し、川に落ちるのも気持ちよかったです。
カナヅチなので、スキューバダイビングとシュノーケリングが怖くて出来ない私が次に選んだのは動物探検ツアーです。ポッサム、コアラ、カモノハシ達をキュランダ周辺に探しに行くものでした。またケアンズ北部にあるバロン川の上流目指して急な坂を登ります。途中ロックワラビーにえさをあげたり、巨大アリ塚に住むアリのにおいを嗅いだりしました。松ヤニの香りでした。私がこのツアーで一番楽しみにしていたのは、締め殺しの木と呼ばれるいちぢくの木の不思議な木を見ることでした。この木は「天空の城ラピュタ」のエンディングモデルとなったもので、かなり大きく迫力満点です。
ケアンズでは2つのツアーに参加しましたが、まだ遊び足りなかったなあ・・・と思いました。惜しみなくツアーにお金をかけるのが、フルに楽しめるポイントかも!?アクティビティーが豊富で、自然と接近できる絶好のチャンスです。面白そうなこと、挑戦したいことはお金で買うと言い聞かせて強気で財布を広げましょう!
※ 締め殺しの木・・・ 木の根元からイチヂクの枝が絡みつき巻きつかれるため、巻きつかれた木の根元が枯れて、上の部分だけが残る。下部は何本ものイチヂクの枝で上部の太い木を支えているが、最後には倒れてしまい、どちらも枯れる。

JN さんのオーストラリア紀行! Vol.4本当のオーストラリア

アリス・スプリング
オーストラリアの象徴と言えば、ノーザンテリトリーにあるエアーズロック。でもその他の何かを探りたい!こぢんまりとしたケアンズ空港からアンセットに乗ってアリススプリングスに降り立ったのは7月の半ばのことでした。何時間にも及ぶバス移動も、なかなかいい経験ですが、快適な空の旅もリッチ気分に気持ちがイイ。アリスの空港内には旅行者がすぐに宿泊施設を予約できるインフォメーションがあります。荷物受け取り場所のすぐ隣なのでわかり易いです。私もそこで一番安いバックパッカーズホテルを紹介してもらったので、送迎バスに乗るまで、いとも簡単にこなせてしまいました。
そして、遂に来ました!セントラルオーストラリア。足元に光る赤い土が魅力的です。これぞ、ノーザンテリトリーカラー!! まったく水気のないサラサラな砂。
市内の西側沿いに、水が一滴もないトッド川があります。それでもいくつかの橋が架かっており、雨期の洪水に備えています。その周りには、乾燥に耐えられるユ―カリの木が生えており、所々にブッシュファイヤーの跡が残っています。木の根元が黒く焼け焦げ、それでもなお、しっかりと葉をたらしています。
また、アボリジニの人々(オーストラリアの先住民)が、ゆっくりと時間を過ごす光景も見られます。近くの公園の芝生に座りながら、アボリジニ独特の絵を描いているおばさんに出会いました。たくさんの絵の具を目の前に並べ、細い枝のような棒で丁寧に点々を落としていきます。気の遠くなるような作業です。アボリジナルピクチャーのモデルとしてよく見られるのは、ゴアナ(とかげ)や、蛙、蛇、ハニーアンツ(蜂蜜がいっぱい詰まったお尻を持つ蟻)などがあります。これらは、彼らにとって重要な存在ではないかと、感じました。絵画は、大きいサイズのもので、60ドルくらい。私も、一目惚れした一枚の絵を買いました。
トッドモールと呼ばれるショッピングセンターには、ノーザンテリトリーならではの伝統的工芸品や絵画、エアーズロックなどのダイナミックな自然に関する品物が売られています。一番印象的だったのが、真っ黒な蝿の大群。蝿は、水分を補給するために、ありとあらゆる個所にとまりますが、目、鼻、口によって来られると困ってしまいます。
トッドモール沿いに、石造りの小さなアデレードハウスがあります。この建物は、果てしなく広いセントラルオーストラリアをカバーした初の病院です。外の暑さとはガラッと変わり、建物内は涼しく、当時使っていた医療器具やベッド、写真などが展示してあります。ここで一番見応えがあるのはトランシーバーと、フライング・ドクターサービス(空飛ぶ救急車)に関するものでしょう。現在では、空港の隣に大きな施設が設けられており、いつでもレスキュー部隊が飛んでいけるようにスタンバイしています。時には、南北に走る道路、スチュアートハイウェイ上が滑走路になるそうです。
アリススプリングスの繁華街は小さいけれど、たくさんのアクティビティーで溢れています。自然を愛する人々にとっては、まさに天国ではないでしょうか。砂漠を駆け周ったり、ブッシュでキャンピングしたり。薬にも役立つ乾燥地帯の植物を見つけ出したり、野生のカンガルーがのびのびと飛び跳ねる姿を眺めたり、勿論、幻想的なサンライズ、サンセットのパノラマ・ビューは見ものです。茶褐色の色の具合も太陽の陰りによって変化していきます。まさに、自然が繰り広げるエンターテイメントの様でした。
ツアーの種類は様々で、選ぶ時には、他の旅行者に相談して情報を集めてみるのもいいですね。私は、市内にあるツアー案内所でたくさんのパンフレットと、長時間にらめっこをして、最終的には2つのツアーを選びました。1つは、オーストラリアの代表的なアボリジナルカルチャーに触れるツアー。アボリジナル文化はとても長い歴史があり、奥が深い。この文化の背景には、エアーズロックが関わり、崇められています。苛酷な自然環境で生き抜いていくための術を身に付け、その独自の文化を尊重し、守り続けてきたそうです。ツアーガイドさんは女性でアボリジニの方でした。彼女は、独特のハンティングの方法や、多数の伝統的な生活用品などについて説明してくれました。綺麗に磨き上げられた重い槍は、カンガルーや大きな獲物用とのことですが、しばしば罪を犯した人間に使用したりするそうです。まず、両腕を叩き折り、次に両足。最後に頭を割り、火にほうり込むという、生々しいお話でした。その後は、アボリジニの伝統料理の説明。ハニーアンツのお尻についている蜂蜜を吸ってみたり、白くて、大きくて、むちむちした幼虫を目前に、木の実などを試食しましたが、あまり美味しいものではありませんでした。そうこうしていると今度は、私たちの前でアボリジナルダンスが始まりました。はりのあるこげ茶色の肌に、白のペインティング。木製の短いステッキを両手に持ち、カチカチ鳴らしながら、はだしの足で砂をたたきます。また、エミューや、カンガルーの真似をしながら、ディジュリドウ(木製の長い笛のような楽器)、に合せて踊ります。人間の原始的な踊りで、力強く、エネルギーに満ちていて、「全身鳥肌」モノの素晴らしい演技でした。2つ目のツアーはガーネットという宝石の原石を採りに行きました。この宝石は、ワインレッド色の透き通った石です。ただの石ころをザルにあけ、水に浸し、太陽の光を頼りに夢中で探します。制限時間を気にしながら大きい原石をと、欲張った結果、3つの大きなガーネットを手に入れました。
自分で採った宝石で、自分だけのネックレス、指輪をつくるぞ!
その後は、アウトバックの大自然を豪快に駆け抜ける4WDツアー。4WDは、砂埃を巻き上げながら、舗装されていない砂利道をグングン進んで行きます。窓の外には、きみどり色の植物が広がっています。乾燥地帯の、植物の葉は白っぽく、強い陽射しに耐えたり、水分調整しやすい色をもっています。そんな、厳しい暑さの中にそびえ立つのは巨大なゴーストガム・ツリー(ユーカリの木)です。この樹齢300年のユーカリの木は、5人の男の人が手を広げ、取り囲んでも届かない大きさでした。
アリススプリングスでは、TODDY’S というバックパッカーズに泊まっていました。一泊12ドルという格安プライス(ドミトリールーム)で、しかもプール付き。さらに、BAR とバーベキューエリアが隣接してあります。ここでは、ディナーが$7.50セントで、テーブルに並んでいるサラダや、鉄板の上で焼かれたオージービーフが食べ放題!私は、いつもここでオーストラリアンビ―ルを楽しみました。
その数日後、ここのバッパーの従業員に声をかけられ、キッチンハンドの仕事をさせてもらえることになりました。仕事の内容は、朝の8:30~1:00、TODDY’S の42室ある部屋のクリーニングのお手伝い。そのおかげで、2ヶ月間、タダで泊まることができました。しかも、完璧な英語環境!これは、ラウンド用語で、フリアコ(フリーアコモデーション)と呼ばれているラッキーな出来事。オーストラリアンに囲まれながら仕事をしたくても、(私のように)、英語を聞き取れないとなれば、チャンスは少ない。仕事は見ながら覚え、何度も聞きなおしても解らなかったりすることもありました。仕事を与えてくれた TODDY’S のボスに感謝しています!!泣き有り、笑い有り、そしてありがとうの仕事奮闘記です。
アリスの街を見下ろす絶好のポイントは、アンザックヒルです。夕暮れ時には、真っ赤に染まった街を望めます。背後に聳える山脈の裂け目から、一本の道がまっすぐ伸びています。地元の人々はこの山脈を、赤い芋虫と呼んでいました。つるつるとした赤い岩が輝き、遠くまで続いています。この一本道も、エアーズロックに並ぶ、セントラルオーストラリアのシンボルに匹敵するモノだと思いました。

JN さんのオーストラリア紀行! Vol.5以外に怖い。。

アリススプリング~ダーウィン
アリススプリングスとダーウィンとの距離は、約1500km。通るなら観光する所全部、寄ってみたい。ただ長距離バスに揺られ、うたた寝し。2時間おきにトイレ休憩。それはかなり時間がもったいない!!そんな事を考えていた私に、もってこいなツアーがありました。7日間のキャンピングサファリツアーです。アリススプリングスからスタートして、ダーウィンまでの間にある、大自然を一気に観光できるものです。これには、エアーズロックで知られるウルル国立公園、オーストラリア最大のカカドゥ国立公園も含まれています。一通りアリススプリングス周辺を見て回ったら、ツアーを予約して出発します。お値段は少々高めかも知れませんが、そんなこと吹き飛んじゃうくらい満足しました!!
初日。早朝、5:15
私の泊まるバックパッカーズホテルにお迎えバンが到着しました。ツアーに参加している数人の外人さんに挨拶して、バスの中を見廻す。日本人がいない!! さあ、7日間英語ガンバロー!アリススプリングスより西方約300kmにある、キングスキャニオンへ向かいます。車窓からは、こげ茶色の大地が果てしなく広がり、所どころに丘が並ぶ。サンライズを待つ紫色の高い空の中に、一つの熱気球がゆっくりと浮かんでいました。電柱一本ない、砂漠のど真ん中です。4時間のドライブの後、いよいよ目の前のキングスキャニオンのトレッキングコースを登ります。ガイドさんの説明を受けながら、進みます。乾燥地帯の伝統的な植物や、怪我したり、すりむいたときに効果がある植物。それらはとても効果抜群そうです。
足場は赤い岩がごつごつしていて、急な登りが続いています。それに負けないように頑張っているところを大量のハエが邪魔をします。頂上に着き、高さ300mの崖から下を見下ろすがここのハイライトです。恐る恐る四つんばいで崖っぷちに近づき、吸い込まれそうな崖下を覗きます。目がくらくらするほどの高さなので、とても怖かったです。突風がいきなり吹いてくるので、崖の近くではうかつに立っていられません。おっこっちゃうよ!そこには、きれいに裂けた岩の模様や、地層。キングスキャニオンの裂け目の下には森が広がっていました。とても素敵な自然でした。
2日目。早朝6:00より、待望のエアーズロック登山開始です
先住民族であるアボリジナル人の聖なる一枚岩、として崇められています。その心を尊重する観光客や、オーストラリア人は登りません。高さは東京タワーよりも上回り、地下にはさらに6000mもの岩が埋もれています。こんな巨大な岩が一つで出来ているのだから、オーストラリアのシンボルとなるのも頷けます。なだらかな斜面の入り口から始まり、その後は急な坂と体力との戦いです。岩の表面には、鉄棒が打ちつけられており、一本の鎖がかけられています。この鎖を中心に、登る人は左側から掴み、降りる人は右側から掴みます。ツルツルの岩肌を踏みしめながら上へ、慎重に。
うーん‥滑ったら死ぬ…傾斜は、アキレス腱が引っ張られて痛い位急でした。そんなところで一休みする時は、どいてほかの人達に道を譲らなければならないけれど、鎖は離したくない。怖すぎる。こんな斜面見たことない!エアーズロックに挑戦するのは、かなり年配のお年寄りから小さなお子さんまで幅広く、こっちが大丈夫かしら??なんて心配してしまいました。こんなに辛いし、危険度100パーセントなのになあ。やっぱり、オーストラリアに来たからには、この巨大な一枚の岩を制覇したい。どんなリスクが伴ってもやり遂げたいと、気合がはいってしまうのでしょう。それほど私たちには魅力的なのです。きりりとした素晴らしい容姿。どこを探してもない、不思議な形に魅了されてしまうのです。
登った後の達成感や満足感は登った人にしかわからないけれど、ここ、ウルル国立公園では登らなくても十分楽しめるようになっています。岩の周りには9.5kmの歩道が設けられており、歩いて一周できるようになっています。側面の凹凸や、独特の色合い。どれも見逃せません。急な坂を終えると、その奥に設置された方位版を目指します。そこにたどり着くまでは、足元にある方位印を頼りにしながら進みます。山頂付近は平らだろう、と思っていた私の予想は大きく外れていました。ひどくアップダウンする足場に悪戦苦闘です。少し進んでは、360度の砂漠を、そして、遠くにうっすらと見えるマウントオルガを眺めることができたのです。ゴール地点の方位版に着く前に、きつ過ぎて??鼻血出しちゃったし…今思えばいい思い出ですね。すごく恥ずかしかったけど!
マウントオルガも、ウルル国立公園内にあるアボリジニ人の聖地です。丸みを帯びた奇石群の巨大さに驚きます。平坦な大地のなかに、唯一、風がぶつかり合いながら吹き抜ける場所。そんなことから風の谷と呼ばれているのでしょうか。ガイドさんの後ろに付き添いながら、ハエに付き添われながら、マウントオルガの谷間を歩きます。そこには、岩と岩に挟まれた不思議な空間があります。押しつぶされそう‥という圧迫感はなく、両脇にどっしりとたたずみ、赤く大きなオルガの岩は、皆に安らぎを与えている様でした。光り輝く岩肌、雨の伝った跡、そして、辺りを覆うきれいな植物。それらが造り出す美しい風景は、私が今まで感じたことのないゆっくりとした時間を教えてくれました。以前は仕事に追われ、何かに背中を押されながら走ってきました。そうか、これが私の探していた「心のゆとり」なんだ!何に対しても急ぐ必要はなく、こんなにも落ち着いた気持ちになれる。マウントオルガは私にとって、とても強い印象を与えた場所でした。
3~5日目。小さな荷台付のバンから大型バスに乗り換えます
ツアー一行はアリススプリングスからダーウィンへと移動します。ここからは、観光するところでストップしてくれます。バスの中でちょっと居眠りして、目を覚ませば次のスッポットに。次の予定のことではなにも心配することがありません。キャンピングスタイルの宿泊施設も途中で設けられており、私は常に観光を楽しみ、外人さんとお話することに集中することができたのです。かなり楽しくなってきました!
ノーザンテリトリーの南北をつなぐ、スチュアートハイウェイを走ります。その道に沿ってあるのがデビル・マーブルスです。いくつもの丸い石が何重にも不安定に積み重なり、中には刀でスッパッと斬ったような不思議な石まであります。その石は、まるで大きな桃が二つに割れたように見えるからか、ガイドさんは「桃太郎の石」といっていました。日本人向けのガイドアナウンスですね。
さらにバスで北へ向かうと、乾燥しきった砂漠から熱帯を思わせる景色へと変化していました。辺りにはトロピカルな植物が茂り空気も湿っています。マタランカ温泉に近づいたのです。その温泉が湧く所にはプール施設があり、そこへ天然温泉水をためています。ツヤツヤした元気のいい熱帯植物に囲まれながら何ヶ月ぶりのお湯につかれました。日本人はやっぱりこれよ!!お湯といっても30度程度ですが、不平は言うまい。
この施設内には小さな池がありました。そこにはバラマンディーと呼ばれる大魚が何匹も泳いでいました。全長1m以上ある魚です。係員の方が魚の口を掴んで持ち上げるパフォーマンスには、歓声が飛びかいます(白身魚でとてもおいしいです。オーストラリアではよく食べられています。)
ここから10分もバスで揺られればまた、乾燥地帯へと戻ります。茶褐色の土の色と、ユーカリの木。まさにマタランカはオアシスだったのです。バス移動は続き、気がつくと道路の両脇が燃えている!!ブッシュファイヤーだ!とても広い範囲で草木が燃え、遠い所でも煙が立ち上がっていました。バスの窓からも熱が伝わり、消火活動はしなくていいの??とハラハラしていました。辺りには家も何もないので自然に発火して、自然に沈下するのを待つのです、とガイドさんのアナウンスが流れてきました。猛烈な煙と火の粉の中を、バスは平然と通り抜けるだけなのです。

JN さんのオーストラリア紀行! Vol.6キャンプ

アリススプリング~ダーウィン2
ノーザンテリトリーの北部に近づいてきました。ニトゥミラク国立公園の中には、キャサリン渓谷というスポットがあります。キャサリン川によって浸食された砂岩が20kmも続く名所です。その絶壁の高さは40~60mとスケールが大きく、長い年月を感じます。カヌーに乗ってキャサリン川を下っていくと、緑色に輝く川水や、ワニの卵があるという小さなビーチ、まじかに迫る断崖絶壁を見ることができます。カヌー終了後には、公園内の滝壷に向かってトレッキングコースを歩きます。旅に、アクシデントはつき物です。私の右足の裏の真ん中には、程よく膿んだ大きなイボが出来ていていました。以前からの歩きすぎで、できてしまったのでしょうか、この遠い道のりが辛い(泣)。
その深い滝壷では泳ぐことができます。全く臭くない川水なので、汗をかいた体には快適でした。でも私は、カナヅチなので岩にしがみ付きながら、ちゃぷちゃぷ水遊び。ほかの人達は、高い位置から滝壷へ飛び込んだり、滝のてっぺんから落ちてくる水の下で遊んでいるのを感心しながら見ていました。
キャンプの夜を紹介します。キャンプ場のねぐらをチェックすると4人部屋で、鉄パイプ製の2段ベットが置いてありました。シーツは無く、薄くて小さなビニール製のマットがあるだけでした。電気もなく、外装は虫除けの金網で覆われていて、外からは丸見えです。まさに鳥小屋です。キッチンでは数本のろうそくをテーブルに置きましたが、まだ暗すぎます。そこで私たちは、口に懐中電灯をくわえながら野菜を切ったり、フライパンをかき混ぜたりしました。そんな状態で20人分の夕食を作るんだからすごい。
夜も更け、鳥小屋で寝ようとしてもそわそわして落ちつかないので、ルームメイトと外で寝ることにしました。マットの上にスリーピングバックをひき、貴重品は枕元へ置きました。寝転がって目を開けると、そこには満天の星空。星に手が届きそう!南十字星は、たくさんの星の中に埋もれてしまっていました。そして、目を閉じれば高台を吹き抜ける風の音と、枯葉の上を走るトカゲの音、ポッサムが木の枝に飛び移る音だけでした。生まれて初めて外で寝ることができました。気持ちがよくて最高です!!
6~7日目。オーストラリア最大の面積を誇る、カカドゥ国立公園へやって来ました
ここはからは4WDに乗り換えて移動します。道のコンディションはとても悪く車が前後左右に大きく傾きます。草木をかき分け、川を走り抜けたりしながら進んで行くのでエキサイティングです!国立公園の西側に位置する、ウビルロックとノーランジーロックでは、先住民族アボリジニ人が残した壁画をみることができます。数万年前からこの地で、厳しい自然と共存してきた彼らの力強い思いが伝わってくるようでした。その岩陰には暮らしていた跡が残り、ここに座って雨をしのいだかも?この場所から、今私が眺めている同じ景色を見ていたかしら?この、緑あふれるパノラマな大自然は昔と何も変わっていないのかな?そんな想像力が高まります。
ここから南へ70kmほど移動すると、ツィンフォールズに到着します。二つの滝が並び、向かいにはヤシの木が茂る白浜のビーチが広がっています。この素晴らしいスポットにたどり着くには、やっぱり(また?)歩き続け、おまけに足のつかない深さの川を長いこと泳がなければなりません。私のような根性なしにはライフジャケットや、ボディボード(溺れない様につかまる)を貸してくれるので安心です。ツアー最終日、私たちの体力はかなり消耗していましたが、みんなの顔には満足感と、充実感がありました。ダーウィンにて7日間のキャンピングサファリツアー終了です。
ツアーについて
ノーザンテリトリー・アドベンチャーツアーズという大きな会社が企画しているもので、「レッド・ロッケット」というツアー名です。ディスカウントしてもらって、A$850でした。ここで紹介した所だけでなく、誰も観光しにこないような穴場まで立ち寄ってくれました。一人でのんびり旅をするのもいいですが、たまにはこんな贅沢なツアーもいいと思いました。ぜひ、お薦めしたいツアーです(雨季になると、カカドゥ国立公園内は走行できなくなり、閉鎖されてしまいます。観光する時期には注意してください)
オーストラリア最高!本当に大きい国です。ビーチも山も砂漠も、何から何まで大きいです。人も優しいし、おおらかだし、怒らないし、出会った人たちすべて最高です!ありがとう!オーストラリア!ありがとう!ゴーフォーイット(ジョイネット)!

MK さんの体験談。Vol.1相棒との出会い。

まずは、ごあいさつから…
どうも初めまして。オーストラリアをバイクで走りまくった加藤雅之というものです。このたび「ラウンド日記」なるものを書かせていただくことになりました。僕の体験がこれから「オーストラリアをバイクで走りたい!」と思っている人や「バイクはともかく、とにかくオーストラリアを旅してみたい!」と思っている人たちの参考になってくれれば嬉しいです。
オーストラリア出発前
僕は最初からバイクで旅をする事しか考えていなかったので、まずオーストラリアの地図を買い、各地域の気候と気温、降水量を調べ、どこにどんなものがあるかを調べた上で大まかなルートとプランを決めて行きました。オーストラリアは各地域によって気候が違うのですが、基本的には夏(11月下旬~3月くらい)は南側(シドニー、メルボルン、アデレード、パース)を走り、冬(6月下旬~9月上旬くらい)は北側(ブルーム、ダーウィン、ケアンズ)と中心部(アリススプリング周辺、但し昼夜の気温差が激しい)を走るという感じでプランをたてました。そして僕は幸運にもオーストラリアをバイクで旅した方と知り合い、その人からも色々な話を聞いて準備を進めました。
僕が日本から衣服以外で持って行ったのは、
①テント(日本製の方が品質が良いらしい)
②寝袋
③バイク用品(エルボーパッド、ニーパッド、グローブ、ツーリングザック)
④工具(空気圧ゲージ、空気入れ、パンク修理用ボンベ2本、パンク修理用パッチ、タイヤレバー2本、虫まわし、ソケットレンチ、レンチ、モリブデングリス、一本足、ワイヤーインジェクター)
*1=パンク修理用ボンベは、チューブ式タイプのタイヤであれば特に必要なし。
*2=虫まわしは、タイヤの空気注入バルブを抜くときに使う。あれば非常に便利。
*3=ソケットレンチは、日本とオーストラリアではソケットの差込口の大きさが違うので要注意。
*4=一本足は、バイクを浮かすときに使う。前後のタイヤのパンク修理や前後の足回りのメンテで重宝します。
これらの道具はオーストラリアには存在しないので、日本で買って持って行くことをオススメします。
以上のものを日本から持って行ったわけですが、ほとんどのものは現地でも調達できるので、あれもこれもと揃える必要はありません。後は、適当に雨具や寒いときに着るようなトレーナーやセーターなどは持って行きましたが。そしていよいよ重い荷物と大きな不安を抱えて、1998年11月10日、成田発、ソウル&ブリスベン経由シドニー行きの大韓航空で、いざオーストラリアへ出発。
オーストラリア到着
11月11日。シドニー到着。シドニーに到着してから最初の1週間は知り合いの家にステイさせてもらい、その1週間の間に、銀行口座の開設、語学学校の入学手続き(一応語学学校に4週間通いましたが、僕にとってはあまり意味のないものになってしまった)と次の宿泊先を決めました。新しいステイ先は「セントラル・ステューデント・アコモデーション」。いわゆる世界各地から、お金をかけずにやってくる若者達が利用する、バックパッカーズという安宿です。ここは、日本を出発する前にオーストラリアをバイクでラウンドした方から教えてもらったところで、ここのバッパー(バックパッカーズの略)は、日本人ライダーが集まる有名な宿で、通称「東京ヴィレッジ」と呼んでいます。オーストラリアにはこの東京ヴィレッジ以外にも、ケアンズ(シックスティーズ)、アデレード(ラックサッカーズ)、パース(ライダース・バックパッカーズ)に日本人ライダーや日本人旅行者が集まってくるバッパーがあります。人が集まってくれば当然オーストラリアの情報も集まってきます。各バッパーは、旅をしてきた人の体験談や旅情報、バイクでダートを走りたい人なら一見の価値がある、ダート情報を収めたノートやファイルがあるので、現地に着いたら参考にすると便利です。
相棒との出会い
聞いた話通り、そのバッパーには日本人がわんさか。そして裏庭にはかなり走りこまれたバイクが5~6台置いてある。その日から学校に通いつつ、いろんな人から情報を集め、その情報をもとに必要なものを揃えて行きました。揃えたと言っても、そのほとんどは他のライダーや旅行者からの貰い物や安く譲ってもらったものばかり。こういうバッパーでは自分の欲しいものが個人売買で安く手に入ることも魅力のひとつ。しかし肝心のバイクがなかなか良いものが見つからない。
東京ヴィレッジで何人かの人がバイクを売りに出してはいたが、すべてがオフロードバイク。オーストラリアを走っている日本人ライダーは、ダートを走ることを目的として来ている人がほとんどなので、個人売買でバイクを買おうとした場合はオフロード中心になってしまう。僕はオフロードバイクなど乗ったこともなく、ましてやダートを走るなんて事を出発前は考えてもみなかったので、ずいぶん迷いました。中古車を探しにバイク屋をいくつか見てまわりましたが、気に入ったバイクが見つからない。というよりも非常に高い。日本ではすでに廃車になっていてもおかしくないようなバイクが平気で店にならべてある。そんなバイクがA$5,000くらいで売られているのだ。しかも店によってはロクな点検もせずに売られているところもあり、とても店で中古車を買う気になれず、「もう新車を買うしかないか・・・」などと考え始めていました(ちなみに新車は400ccのオフロードがA$8,000~A$9,000と非常に高い)。
しかし、ラウンドする前からそんなにお金を使いたくない。などと悩み始めていたときに、たまたまタイミング良く1人のライダーが、東京ヴィレッジへやって来たのです。その人は、ここシドニーが最終地点であり、ここでラウンドが終了すると言う。後はこのバイクを売って日本に帰るだけと言う事なので、そのバイクを見せてもらいました。一目見た瞬間「これだ!これが僕の探していたバイクだ。俺にはこいつしかない」と閃いたのです。一目惚れって感じでした。そのバイクは、96年式ホンダドミネーター650。日本では逆輸入扱いのあまり知られていないバイクで、フロントカウル付きのいわゆるマルチパーパス。
基本はオンロード中心だけど、オフロードでも充分に走れる。と言うことで早速値段交渉へ。というよりは、もうこの時すでに買うつもりになっていたので、相手の言い値でも良いと思っていました。交換しなければならないパーツもありましたが、そんなことはもうお構いなし状態。
交渉は即成立。そのドミネーターのオーナーはビザ切れ寸前だったので、翌日から名義変更やらでシドニーの中心地を忙しく回り、交渉成立3日後に、僕は晴れてドミネーターのオーナーになりました。ちなみにこのバイクの値段はA$3,600。走行距離60,500キロ。日本で考えれば高いと思いますが、惚れてしまったものはしょうがない。それにオーストラリアでは走行距離よりも年式の方が重視されるようで、動くものは価値として見なされるようです。こうして僕は念願の相棒を手に入れたのです。

MK さんの体験談。Vol.2ラウンドスタート!のはずが。

ラウンド出発前
それからは、ただひたすらバイクの整備に明け暮れる毎日でした。まずバイクの掃除。そしてチェーン、前後スプロケット、前後タイヤ、ブレーキパッド、エンジンオイルの交換、磨り減ったネジやなくなってしまっているネジの補強。バイクを良く知っている方なら大した作業ではないでしょうが、僕はバイクに関しては素人同然。バイクは乗っていましたが整備と言えばプラグやブレーキパッドの交換くらい。パンクの修理方法すらよくわからないし、今思えば良くこれでオーストラリアを走れたと思うほど無謀でした。他のライダーたちから整備の仕方のわからないところを聞き、パンクの修理の仕方も教えてもらいながらの整備でした(他のライダーから得た情報や整備の仕方は、これから出発する僕にとっては本当に貴重だった。というのは、オーストラリアをラウンドするには、パンクの修理をはじめ、知識の有無が命に関わってくる場合もあるということを、身をもって体験したから)。
整備が終了し、バイクに荷物のパッキングも決めて、いよいよ出発の準備が整いました。バイクに積んだ荷物は、テント、寝袋、ツーリングザックジェリ缶(予備ガソリンを入れる10リットルのポリ缶)、調理用コッヘル、ストーブ(MSRのガソリンが使えるタイプのもの)、地図、薬や湿布、ナイフ、工具、タイヤやチューブ・プラグ、食料と多めの水、セーターやトレーナー、辞書とノート。大体こんなところを積み込みましたが、荷物は当然少ない方が楽です。全ての準備を整えて目指すはオーストラリア大陸一周!いざ出発!
いよいよラウンドスタート!
1月15日、快晴。パッキングして準備を整える。初日の目標は、シドニーから西へ約100キロ程行ったところにある「カトゥーンバ」。ここはスリーシスターズと呼ばれる鋭く切り立った岩山が3つ並んでたっている事で有名な場所だ。とにかく第1日目の目的地を決めましたが、実のところ本音を言うと、「これから俺、どうなっちまうんだろう・・・」という不安で押しつぶされそうなくらい怖かった事を覚えています。
みんなで懸記念写真を撮り、見送られながらいよいよ出発!街の中心地を通り抜け、カトゥーンバへ向かうフリーウェイへ。街を歩いている人や車を運転している人たちが、荷物山積みのバイクを珍しげに眺めている。なんだか恥ずかしい。フリーウェイに入りその後は一路カトゥーンバへ向かってただ走るだけ。
なんとなく浮き足立っていた気持ちが安らいできたと思いきや、突然のマシントラブルである。いくらアクセルを回してもエンジンの回転数が上がらない。ギヤをトップにしてアクセルを回しても70キロしかでない。「どうしよう…」と思う前に現実を受け入れられない自分がいる。結局そのままカトゥーンバへ向かい、バイク屋を探してみたが、どこにも見あたらない。とりあえず今日のところは目的地点までは到達できたので、キャラパー=キャラバンパーク(キャンプ場。オーストラリアにはどんな小さな町にもキャラパーがあります。)を探してテントを張り、その場でバイクの点検を始めました。おそらくエンジンが回らない原因はキャブレターだと思っていたのですが、下手にキャブレターをいじって壊したらもう動けなくなるとと思い、その他の部分を点検しました。特に異常は見当たらず、もうお手上げの状態に。
夜もふけてきたので翌日あらためてバイク屋を探す事にしました。翌日は70キロしか出ないバイクに跨り、バイク屋を黙々と探しました。ようやく一軒のバイク屋を見つけられたので飛び込みました。「バイクの調子が悪いので見てもらいたいんだけど」と言うと「今日は、土曜日でメカニックはいないよ」との返事。そうだった。今日は土曜日で、大きなスーパー以外はどこもほとんど休みだった。すっかり忘れていた。「月曜日にまた持ってきて」と店の人に言われ、どうしようもないので土・日はバイクの調子が悪いまま周辺を観光する事にしました。ブルーマウンテンが一望できるスリーシスターズや急勾配の坂を一気に下るトロッコに乗ったり過ごしましたが、バイクのことで頭が一杯で、今ひとつ楽しめず、鬱々とした2日間を過ごしました。
そして月曜日。バイク屋へ改めて行くと、メカニックが「今日は忙しいから明日持ってきてくれ」との返事。だいたいオーストラリアのバイク屋はこんな感じです。文句の一つも言ってやりたい気持ちになりましたが、言ったところでどうしようもない。と言うより文句を言えるほどの英語力がない。結局その日もその辺をブラブラと観光して時間をつぶしました。そして翌日、朝一番で再度バイク屋へ。一応預かってくれて「午後4時に取りにきてくれ」との事。街で時間をつぶしてバイク屋に戻り、「バイクどうですか?」と聞くと「ああ、終わったよ。」との返事。良かったぁ。これで動ける!原因を聞くとやはりキャブレターだった。
早速バイクに乗りキャラパーへ戻り荷物の整理をしようと考えていたときに、西の空から真っ黒な不吉な雲が。ひょっとして、と思ったのもつかの間、雨がパラパラと降って来て、そのまま大雨状態に。明日になれば晴れるだろうと安易に考えていましたが、翌日も大雨状態。雨の中を出発する気にもなれず、またもやテントで1泊。そして翌日もまた大雨状態。もう限界!これ以上足止めを食らいたくない!土砂降りの中でテントをたたみ出発しました。シドニー近くまで行けば雨も止んでいるだろうと思いましたがシドニーも大雨状態。散々迷った挙句に、結局以前ステイしていた東京ヴィレッジへ逆戻り。完璧な振り出しに戻りました。その日はヴィレッジの人たちにからかわれまくったのは言うまでもありません。雨が止むのを待って、その2日後、1月21日に再出発を誓いました。
屈辱の再スタート!
2度と屈辱は味わうまいと心に誓い、ヴィレッジにいるみんなに見送られながらの再スタートと相成りました。海岸沿いを南下し(このルートはかなり景色がグッド!)途中で右折しキャンベラ方面へ。牧草地帯をひた走る。あちこち寄り道しながら1月27日首都特別地域のキャンベラに到着。
キャンベラはオーストラリアの首都ですが、首都とは思えないほど小さな街でした。大して見るものも発見できず出発すつもりでしたが、ステイしていたYH(ユースホステル)で、2人の日本人と1人の韓国人と出会い、2泊所を4泊してかなり盛り上がって過ごしました。2月1日。みんなと別れビクトリア州へ。
海岸沿いを西に向かい90マイルビーチへ。ここには「レイクス・ナショナルパーク」があり、このパークの道は深砂。他のライダーから教えてもらった場所で、「深砂ってどんな感じなんだろう」という好奇心のみで訪れてみましたが、これが強烈!まともに進んでくれない。その時まで深砂の道など走った事もなく(というより、ダートを走る事自体初めての経験だった)深砂でのバイクの乗り方など知る由もない。4回も転倒し、チェンジペダルが曲がり、ミラーが取れ、ハンドルが曲がってしまい、もうボロボロ。なんとかバイクを無理やりなおして、なんとか、逃げるようにしてナショナルパークから脱出。脱出後はさらに西へ進み、大陸最南端である「ウィルソン・ポロモントリー」を一気に目指しました。

MK さんの体験談。Vol.3ラウンド満喫。

オーストラリア最南端
2月5日。ウィルソン・プロモントリー到着。ここ「ウィルソン・プロモントリー」はトレッキングで有名なところで、オーストラリア大陸の最南端。僕の目的は、もちろん「バイクでの南端制覇」ところが、てっきりバイクで南端の近くまで行けるものだとばかり思っていたのですが、車もバイクも進入禁止の案内が。ということは、つまり「歩き」ってことになる。しかも最南端まで片道20km以上もあるではないか。
たいていの人はテントや寝袋を持って行くようですが、いちいち用意するのがどうにも面倒くさい。トレッキングに行っても水が手に入らないので、それも用意しなければならない。この辺りは水質がかなり悪いので、近くの売店で水を購入して行くか、ストーブを持って行き水を加熱させなければ飲めないとの環境から、たまたま持っていたストーブが故障していたということもあり、迷った挙句に最南端制覇を断念。
やはり最南端はあきらめられず!
2月7日。最南端制覇が出来なかった事に後ろ髪を引かれるように出発し、フィリップ島へ向かう。ペンギンやコアラを見た後、このままメルボルンへ向かうつもりでしたが、やはり「最南端制覇の野望」が捨てきれず、またもや「ウィルソン・プロモントリー」へ。そこで改めてパーミットを取り(トレッキングをするならパーミットを取得しなければならない)翌日、2月10日装備を整えて、いざ南端トレッキングを開始。ストーブは相変わらず故障したままだが、水は600ミリのボトルと1.5リットルのボトルを1本ずつ持ち、食料はパンとコンビーフ(ストーブが使えないとかなりツライ)。重いバックパックを背負い山道を歩きつづける。汗ダラダラ状態でようやくキャンプ予定地に到着。南端はここから更に3キロ先。キャンプ予定地を確認しながらそのまま進む。この最後の3キロは登山道というよりケモノ道に近い。道に迷ったら2度と生きて戻って来れないんじゃあないかと思える道でした。道を確認しながら約1時間ほど歩きつづけ、とうとう最南端に到着。最南端制覇の野望を達成した余韻に浸りながらも、この時、ひどく疲れている体に少々異変が生じてきたような気配を感じていました。
キャンプ地に戻り、持ってきていたパンを食べようとしましたが、達成感からの気の緩みか極度の疲労感に陥り、全く食欲が出ず、パンが喉を通ってくれない。翌日も来た道を戻るため歩かなければならず、少しでも食べておこうと無理に口に入れて水で流し込み、そのまま寝に入りました。が、今度は全く眠れない。結局そのまま朝を迎え、このままだと「マジで死ぬかもしれない」と思い、朝早くに出発。大好きなコーラを一気に飲み干している自分を思い浮かべながら、疲れきっている体に鞭を打つように、ひたすら歩きつづける。最後の坂道を登りきり、「後は降るだけだ」と思った瞬間体に異変が。手足がシビれだし、頭がボーっとしはじめ、視界に何かがちらつき始めサンドストームのようになってきた。「ヤバイ。とりあえず体を休めなければ」。しばらく休んでいるとサンドストームは消えたものの、手足のシビレはまだおさまらない。ここにいつまでいても仕方がないので、また歩き始めようとしたとき、今度は右足が動かなくなってしまった。よく「足が棒になる」と言いますが、まさにその状態。全く動いてくれない。この時は本気で助けを呼ぼうと思いました。でもこういう時に限って回りには誰も居ない。これで左足まで動かなくなってしまったらもう絶対OUT。なんとか少しずつでも進もうと思い、少し歩いては休憩の繰り返しで、どうにかこうにかやっとの思いで売店までたどり着きました。この時は少々大げさですが、ホント「生きて帰ってこられた」と思いました。言うまでもありませんが、この時飲んだコーラの味は一生忘れないと思います。
メルボルン、そしてタスマニアへ
2月12日。ウィルソン・プロモントリーを後に、メルボルンへ向けて出発。その日のうちにメルボルンに到着。いやぁ~でかい街ですねメルボルンは。今まで人の少ないところばかりを走ってきた僕には、その人の多さに、なじめないと言うのが第一印象に残っています。しかもメルボルンの街中は、あちこちにトラムが走り回っていて、バイクでは非常に走りづらい。場所によっては車もバイクも右折するときは2段階右折をしなければならず、もう面倒なのでメルボルン観光は「歩き」。
5日間メルボルン市街をブラブラした後、2月17日、フェリーに乗ってタスマニアへ。このフェリー夕食がビュッフェ形式。好きなものを好きな量食べられるので、ここぞとばかりに食いまくりました。このフェリーが最高に思えたのはちょっと単純でしょうか。翌日タスマニアのデボンポートに到着。寒い。まだ2月なのに風が冷たい。デボンポートから西側へ走り、「クレイトルマウンテン」へ。遠くから眺めたクレイトルマウンテンがすごくキレイで、山が好きな人にはたまらない風景だと思います。あれは必見です。そこから今度は南下して行き「レイク・セントクレア」へ。この湖がまたハンパじゃなくキレイでした。特に夕方のセントクレアは息が止まりそうなほど(ちょっと大げさ)見入ってしまう風景でした。そのあまりにも素晴らしい風景に魅せられて、なんの意味も無く2泊。ここは絶対にオススメです。
そして更に南下して、「ルーン・リバー」へ。ここのYH(ユースホステル)のオーナーが案内する「土ボタル」ツアーは、オーストラリアのラウンダーの間では有名でした。当然僕も参加しました。このツアー、かなりすごいです。洞窟の中に入っていくのですが、かなり危険な場所を歩きます。落ちたら、まず助からないであろう岩の割れ目があったり、ホフク前進をしなければ進めない場所があったりで、気分はもう探検隊。そして自分の手さえ見えない闇の中に、ポツポツと光る土ボタルは、まるでプラネタリウムの中にいるようでした。ココは本当に良かった。
ルーン・リバーから東へ走り、ホバート、ポートアーサーを回り北上。そして「ロス」の街へ。ここは、アニメ映画の「魔女の宅急便」の中に出てきたパン屋さんがあるところ。そのパン屋さんに行くと、キキの人形や日本人ラウンダーのビジターズブックが置いてあり、宮崎アニメが好きなら行ってみるのも楽しいかもしれません。
更に北上して今度は「ウィンナリー」という街へ。ココには YH がありますが、ただの牧場。でも牛の乳絞りをさせてもらえたり、牛乳はただで飲めます。ココもなかなか面白かった。そして西に向かって走り、デボンポートへ。
3月6日、タスマニア1周を達成。約20日間の旅でした。僕が思うに、タスマニアは、山や緑の大自然が好きな人にはたまらない所でしょう。オーストラリアにあってオーストラリアではない場所と言う感じでした。そして、3月9日またフェリーに乗って本土の大陸へ。

MK さんの体験談。Vol.4ラウンド満喫2

アデレード
3月11日、次なる目的地、アデレードに向け出発。グレートオーシャンロードを抜け SA (南オーストラリア州)へ。このグレートオーシャンロード一帯は天候が不安定らしく、僕が行った時も曇り。「十二人の使徒」も曇り空の下ではイマイチ。う~ん、残念。
3月14日、SA に突入。アデレードに行く前にカンガルー島へ。ここは、野生のペンギンやアザラシ、変わった形をした岩”リマーカブル・ロック”が見れる事で有名。このカンガルー島もオススメ。特にペンギン。まだ産毛の抜けていない子ペンギンたちが、よたよたとひっくり返りながら、一生懸命に親ペンギンの後をくっついて歩く様は、男から見ても微笑ましい。
そして3月18日、アデレードへ。宿泊先は、オーストラリアン・ライダー四大バッパー(バックパッカー)の「ラックサッカーズ」。僕が行った時は、ライダーは僕を含め3人と少なかったものの毎日楽しく過ごさせてもらいました。
そして、この「アデレード」という町は僕の一番気に入った街でもあります。アデレードは他の都市に較べるとかなり落ち着いた雰囲気で、「しっとりした街」という感じでした(あくまで僕個人の意見ですが)。そしてアデレードで忘れちゃいけないのが「クレイジー・ホース」。俗にいう「ストリップ」だが、このお店のお姉さんたちのレベルはかなり高い!どのお姉さんたちもモデルクラス。アデレードに来てこの店に行かないのは、ラウンドの40%以上を損してると言ってもいいでしょう。男なら、いや女の人も(結構女性客もいた)1度は行ってみるべきです。因みに、お姉さんには指一本足りとも触れられませんが。と、まあそんな楽しい毎日を過ごし、3月28日、アデレードを出発。少し寄り道をしてから北へ向かう事にしました。
ダートロードにチャレンジ!
アデレードを北上し、「ウーダナダッタ・トラック」へ。ここは100%のダート。別に目的があって行ったわけではなく、ただ単にダートを走りたかっただけ。このとき初めてオーストラリアの内陸部に足を踏み込んだわけですが、内陸に入ると景色がガラッと変わります。もうひたすら荒野が広がっています。周りには誰もいない。動くものすら見当たらない。自分だけが、世界から取り残された気分にさせられます。でも夜の星空はすごい。夜空一面に星が埋め尽くされている。内陸も悪くないです。
ウーダナダッタ・トラックを走り、ウィリアム・クリークまで行き、そこから西へ走りオーストラリア大陸を縦断するスチュアート・ハイウェイへ。その途中またもや試練が。休憩後、走り始めた瞬間リアタイヤが右に左に流れ出し、「もしや」と思い、タイヤを見たら案の定パンク。その時までパンクの修理などした事のなかった僕は目の前まっ黒。周りは何もない荒野が広がっているだけ。人なんて来る気配なし。「と、とにかくパンク修理しなきゃ」。
顔にたかってくる大量のハエを追い払いながら修理すること2時間半。その間、車一台も通りませんでした。どうにか修理作業終了。でもちゃんと修理できたかどうか自信が無い。その日の目的地「クーパーペディー」まで残り100キロ。その100キロを走っている間は、無事に町までたどり着ける事を祈ってました。町の灯りが見えた時は、「人がそこに居る」という事のありがたみが良く解りました。ダートのど真ん中でのトラブルは恐ろしいです。
ナラボー越え!そしてパースへ
4月2日にクーパーペディーに着き、翌日、4月3日に街を出発。スチュアート・ハイウェイを南下し、ポートオーガスタへ。そこからパースを目指し西へ。
4月7日、いよいよナラボー平原に突入。ナラボーはホントに何も無い所でした。見えるのは空と草木を道と地平線。そしてカンガルーの死体。地平線の向こうまで続く道を見たときは感動しました。が、それも長くは続かない。だんだん飽きてくる。しかもナラボーはロードハウス(ガソリンスタンド)を過ぎると、次のロードハウスまで大体200キロ以上離れてる。やる事といえば、ただアクセルを回してるだけ。これはかなりツライです。もうナラボーは走りたくない。
4月8日、とうとうWA(西オーストラリア州)突入。つまらないナラボーを走り抜け、4月11日、エスペランス到着。荒野と地平線しか見ていなかった僕にはかなり新鮮でした。エスペランスには「ラッキーベイ」という砂浜があり、そこがすごくキレイ、という話しを聞き、行ってみましたが。天気が悪くイマイチ。ツイてない。
天気の悪いエスペランスを4月13日に出発し、海岸沿いを走り、ようやく4月17日、パース到着。良い街でした、パース。街全体が明るい雰囲気で、過ごしやすい。パースにハマる日本人が多いのもよくわかる。パースでの宿泊先は、ライダー4大バッパーの1つ、RBP。ここは、あるバッパー(名前は忘れた)が日本人用に建てた所で、当然泊まり客は日本人オンリーという変わった所であります。パースにいる間は、バイク整備や市街観光や他のライダーたちと日帰りツアーをしたりで楽しかった。ここも良い思い出となりました。あ、それからダートを走ってみたいという人は、パースからちょっと北にある「ランセリン」という街からピナクルズへと抜けるダート、ぜひ走ってみてください。このダートはすごく面白いです。
オーストラリア最西端
楽しかったパースに別れを告げ、5月3日、パース出発。パースを北上し、目指すはオーストラリア最西端「スティープ・ポイント」。スティープ・ポイントはモンキーマイアの少し西側にあり、ここに到着するためには、コテコテのダートを走らなけりゃならない。しかも他のライダーから聞いた話では、そこにはバイクを押さないと登れないくらいの砂丘がある、と聞いたので RBP にいた他のライダーを誘って最西端に挑戦。そのライダーと現地で待ち合わせ、5月8日、ダートに突入。その時は時間も遅く、暗くなってきたので途中でブッシュキャンプ。そしてその晩、雨が降った。最悪。雨なんか降ったら道がマディ(泥)化して走れなくなる。少なくとも僕にはマディを走るテクなどない。しかもそこはダートのド真ん中。動きが取れなくなったらなんて考えたくもない。でもその思いに反して雨はどんどん強くなってくる。そして翌朝。雨は止んだもののあちこちに水たまりができて、道は半分マディ。結局引き返すことに。これから先、どうなっているかもわからないし、下手に突っ込んで抜け出せなくなったらシャレにならない。2人でなんとかダートを抜け、モンキーマイアへ。ホント、疲れました。彼とはそこで別れ、彼は僕より早くブルームへ。結局最西端到達ならず。
5月7日、僕もモンキーマイアを出発しました。それから北上し、カナ―ボン・ポートヘッドランド(近くに宇宙基地のような建物があり、夜はキレイ)、そして5月9日ブルーム到着。ブルームは、オーストラリアでも有名な観光地。「月の階段」はかなり有名です。

MK さんの体験談。Vol.5オーストラリアと言えば。

ケアンズと七夕ケープ!
ブルームは僕の中ではお気に入りの街の1つ。ここは、まさに南国。昼間はかなり暑いので昼間からビールを飲んでボーッとして、夕方は、海に行ってまたビールを飲んでボーッとしている、そんな日々でした。あの町はかなり腐れます。うーん、もう一度行きたい。
しばらくビール漬けの毎日を過ごし、6月10日、ブルーム出発、バングル・バングルへ。バイクで行きましたがなんかイマイチ。ココは飛行機やヘリで、上空から見たほうが良いでしょう。
その後、カナナラを過ぎ6月15日、NT (ノーザン・テリトリー)に突入。6月16日、北と南の分岐点、キャサリン到着。この時、僕は NT を見て回るか、NT を飛ばして、QLD (クイーンズランド州)のケアンズへ行くかで迷ってました。なぜケアンズかというと。オーストラリアを走るライダーにとって(別にライダーだけというわけではありませんが)この間には2つのイベントがあります。1つは「正月エアーズ」。これは、「正月をエアーズロックで迎えよう」というもの。もう1つは「七夕ケープ」。これは、「7月7日をオーストラリア最北端で過ごそう」というものです。最北端は、ケアンズから約1000キロ北にある「ケープヨーク」。ケープヨークの名前は、日本でもオフロード好きな人なら聞いた事があるかもしれません。つまりダート。最北端への道のりは100%のダートロード。しかも、かなりキツイらしい。僕もそんなところに一人で行く気はない。でも毎年、この「七夕ケープ」を目指して多数のライダーが集まってくる、というので、僕も行ってみようかな、と思っていました。
キャサリンに着いたのは6月16日。まだ時間はあるものの、バイクの整備をしなければならないのでなるべく早くケアンズに着きたい。結局、NT は七夕ケープが終わった後回るとしてケアンズへ向けてその日のうちにキャサリンを出発。スチュアート・ハイウェイを南下し、デイリーウォーターズという町から東へ。ダートを走り抜け、最短距離でケアンズへ。
6月21日、ケアンズ到着。有名なわりにはそれほど大きくない街でした。この街もブルームの様にビールを飲んでボーッとするには良い街でしょう。ケアンズでの宿泊先は、オーストラリアライダー四大バッパーの1つ、「シックスティーズ」ここはバッパーというよりもフラット(アパート)に近い。日本人が「大家」になり、そこにみんなで泊まるという感じ。到着した日からそこに泊まりこみ、七夕ケープに向けて、ひたすらバイクの整備の毎日でした。日がたつにつれて、ライダーがオーストラリア各地から集まり始め、七夕ケープ出発当日になると、ライダー10人、車1台(7人乗車)の大所帯。
そして、7月5日、最北端ケープヨークに向け出発。ダートも、最初はイージーでしたが、最北端に近づくにつれてどんどんひどくなる。川越え、深砂、コルゲーション(道が洗濯板のようになっている。ここを走るとバイクのネジがよく飛ぶ)。時には道の真ん中に深い割れ目があったりする。すごい所でした。当然トラブル続出。一人は、転倒でケガ。一人はバイクが原因不明のエンスト。こんなとこに一人で来なくて良かった。
どうにか7月7日に最北端到着。この時点で疲れは限界に近い状態。でもケアンズまで帰らなきゃならない。ケアンズまで残り1000キロ。帰りはマジで辛かった。疲れで思考力が低下し、もう真っ白。今思えば、よく無事で帰ってこれたな。
みんなバイクをボロボロにしながら、7月11日にケアンズ到着。6日間の旅でしたが、非常に長く感じました。とにかくつらかった。生きて帰って来れてホント良かった。でも、確かにダートは辛かったけど楽しかった。ラウンド中はほとんど一人。人と話す時があまりありません。言葉を使う時は買い物をする時と、ガソリンを入れる時と、キャラバンパークに泊まる時だけ、なんて日もあります。それがこんなに大勢の人数と、6日間だけだったけど、行動を共にしたというのはラウンド中、この時が最初で最後。良い思い出になりました。
ケアンズに戻ってからは、ブルームにいた時と同じ様にみんなでビール漬けになって毎日騒いでました。いや~ホント楽しかった。そんな生活だったのでケアンズで行く所といえば、スーパーか酒屋ぐらい。ケアンズの街の様子とかよく覚えていない。困ったもんだ。それに、一度そんな生活になるとなかなかそれから抜け出せない。七夕ケープが終わったらすぐ出発するつもりが、1週間たち、2週間たち、気づけばもう1ヶ月。さすがにヤバイと思い、イヤイヤながらラウンド再開。みんなに見送られ、8月10日、ケアンズ出発。次なる目的地はオーストラリアのヘソ、エアーズロック。
エアーズロック!
ケアンズからまた南へ向かって走り、あちこち寄り道しながらアリススプリングスへ。あ、そうそう、すっかり書き忘れていましたが、オーストラリアの内陸に行くと「ロード・トレイン」が見られます。これは、でかいコンテナを3つも4つもつけた全長30メートルから40メートルくらいの長距離トラック。この迫力は半端じゃない!まさに「走る鉄の塊」。風圧がすごいので、前から走ってくれば左側ギリギリまで避け、後ろからくれば逃げ道を探す。前から来てすれ違うならともかく、バックミラーにロード・トレインが写るのはホントにイヤなもんです。僕は、燃費のことを考えて80キロから90キロくらいで走っていましたが、ロード・トレインは130キロから140キロくらいで走ってくるので、バックミラーの中でどんどんでかくなってくるんです。あれは、結構恐ろしいものがあります。このロード・トレインもオーストラリア名物の一つでしょう。
さて、アリススプリングスに到着したのは8月18日。エアーズロックで有名なわりには、以外に小さな街でした。でも必要なものは揃っているし(バイク屋もあるし)街全体の造りはなかなかシンプルなので僕はこの街かなり気に入ってます!ただ、この辺は砂漠気候なので昼と夜の温度差が激しく、昼は暑いくらいなのに、夜になると寒くて寝られない。この時期にアリススプリングスに行く人は気をつけた方がいいです。アリススプリングスには1週間ほど滞在し、あちこち観光しました。
アリスを出発してキングスキャニオンを回り、8月29日、エアーズロックに到着。エアーズロック、最高でした。赤い大地の向こうに見えるエアーズロックを見たときはホント感動しました。僕が思い描いていたオーストラリアの姿がそこにありました。夕方になると赤い大地が一層赤く染まり、ホントに素晴らしかった。夕日に照らされた赤い大地、夕日に照らされたエアーズロック。回り一面が「赤一色!」。この風景を見たとき、オーストラリアへ来て本当に良かった初めて思いました。あの大自然がかもし出す色彩はとにかく素晴らしいです。アボリジニの聖地と言うのもうなずけます。マウント・オルガも良かった。夕日に照らされたマウント・オルガも絶品!それに、エアーズロックよりも大きさが感じられて、個人的にはマウント・オルガの方が好きです。3日滞在しあちこち見て回りながら、9月8日カカドゥへ出発。

MK さんの体験談。Vol.6トラブル発生!

カカドゥ/ダグラス/ホットスプリング!
アリススプリングをひたすら北上。途中デビルズマーブルに寄っていきましたが、ここはなかなかスゴイ。巨大な岩が真っ二つになっていたり、不思議なバランスで立っていたりと結構面白かった。
更に北上し、9月12日カカドゥ到着。暑い。とにかく暑い。湿気もあり、座ってるだけだけでも汗がダラダラ。サッサとカカドゥを抜けたい。カカドゥで有名なのはジムジム・フォールとツイン・フォール。とりあえずバイクで行きましたが、ダート。かなりきつかったです。道は、深砂で曲がりくねっているのでスピードが出ない。どうにかジムジム・フォールに到着。ココはすごい。ラウンドで見てきた滝の中ではココが一番でした。デカイ。しかも高い。ただ残念なのはこの時期は乾季の終わり。滝といっても水は流れていないので、ただ岸壁を眺めるだけ。でもあのスケールはスゴイ。ツイン・フォールにも行こうとしましたが途中に川があり、水深80センチと結構深い。バイクで行けば水没するのはわかってたので結局行かずじまいでした。ここは車かツアーで行った方がいいでしょう(それでもバイクで行く人もいますが)。ジムジム・フォールの後はイエロー・ウォーター・リバー・クルーズ。これは朝一番の船に乗ったほうが良いと思います。夜明けの熱帯雨林の風景はすごく幻想的でした。
もっとあちこち見て回ろうかと思いましたが、昼の暑さと夜の蚊の大群にもうウンザリだったので9月15日、カカドゥを抜けダーウィンへ。ダーウィンでは、夜も快適な YH に泊まり、町をブラブラ。ブルームに似た、南国の雰囲気のある街でした。
9月19日にダーウィンを出発し、リッチ・フィールド・ナショナルパークへ。でも暑さでもうどうでも良くなり、適当に見て回って南下。ダグラスポット・スプリングへ。 ここは、まあいわゆる温泉。ここがもう最高。少し街から遠く、温泉に行くには少々ダート(といっても泉)を走らなければならないのが難点ですが、行って良かった。いつでも入れるので、夜、人がいない時を見計らって裸でボ―ッとしてました。ここは是非行ってほしい所です。これで NT 観光は終了。後は QLD に戻り、シドニーへ行くだけ。ラウンドももう終盤。9月20日、ダグラススポット・スプリングを出発。
バイクトラブル!
9月21日、テナントクリークへ。そこから舗装道路を走ってクィーンズランド州に向かいました。ロードハウスでガソリンを補給し、クィーンズランド州最初の街まで265キロは無給油になるためジェリ缶に必要なガソリンを入れて出発。その時午後2時半。なんとか日暮れ前には到着できそう。「今日でやっとクィーンズランドに入れる」と思った瞬間、リアタイヤが左右に大きくブレる。またパンクしたのかと思い、すぐ路肩にバイクを止めタイヤを点検。???ところが別にパンクしている様子はない。でも、タイヤの横から何か飛び出してる。「あれっ?これってひょっとしてリヤシャフトじゃねーか!」タイヤを支えているシャフトが抜けかけてる。どうやら今までの振動でシャフトを止めているナットが飛んだらしい。でも、飛んだのはナットだけじゃなくチェーンアジャスターも失くなってる。とりあえず飛び出しているシャフトを入れ直したものの、シャフトを止めるものが何もないので、リアタイヤを浮かしてもいないのに前後に動いてしまう。
「これじゃあ走れない・・・」。しかし、幸いな事にその地点からガソリン給油したロードハウスまでは40キロ。それにここは舗装道路だから、台数は少ないにしても必ずこの道を通る車はあるハズ。いざとなれば助けは呼べる。という事で別に対して心配もせず構えていました。とりあえず、失くなったナットとチェーンアジャスターを探して見ましたが、どこにも見当たらない。仕方なく通り掛かりの車に助けを求め、ロードハウスの人に助けを頼んでくれとお願いしました。それが、午後4時くらい。それから待つこと6時間。午後10時半にロードハウスの人がトラックに乗って助けに来てくれました。
バイクをトラックに乗せて、ロードハウスまで戻り、その日はそのロードハウスのキャラパー(内陸のロードハウスにはだいたいキャラパーがある)に泊まり、翌日すぐ隣のガレージで使えそうなガラクタを集めてどうにか修理。その日の午後ようやく出発が見えて来ましたが、しばらく走ったところで今度はバッテリーが死にかけて来た。プラグの火花が弱くてちゃんと爆発してない。それに気づいたのがロードハウスを出発してから130キロ走ったとき。目的地までちょうど半分の距離・・・。進んでも130キロ、戻っても130キロ。さすがにこんなところで止まれないので、そのままバイクが止まらない事を祈りつつクィーンズランドへ向かった。
クイーンズランド
9月23日、どうにか Mt.アイザに到着。ひやひやもので走りました。Mt.アイザのバイク屋でバイクを修理してもらい、その4日後の9月27日、東海岸へ出発。それからは順調に進み、東海岸のタウンズビルに出て、そこから南下。ロックハンプトンまで南下し、そこから更に西に入り、ルビーベイルという町へ。この町はサファイアの採掘で有名な町。一般の人でも掘れるというので行って見ました。人から聞いた話しで道具はすべてルビーベイルのキャラパーのオーナーが貸してくれると言うので、まずはキャラパーへ。オーナーに「サファイアを掘りたいから道具を借りたいんだけど・・・」と聞くと「おまえバイクか?バイクはちょっと無理だな」などと言って来る。
話しを聞くとどうやらサファイア掘りには、ツルハシにスコップ、ふるいに半分に切ったドラム缶、5リットルの水のコンテナ3~4個が必要だと言われ(ドラム缶と水は掘った土を洗うのに使う)、とりあえずどんなものか見せてもらいましたが、これは無理。大きすぎてとてもバイクでは持って行けない。そこでオーナーが、「この近くにバケツ一杯の土を$5で売ってるところがあるからそこへ行った方がいい。そこなら道具も要らないよ」と教えてくれたので、仕方なくその場所へ行きました。そして$5払ってバケツを買ってサファイア探しを始めましたが、これが、結構サファイアが出てくる。と言っても$1~$2位のほとんど価値の無い物ばかりでしたが。でも中には加工すれば$200~$300位するものもありなかなか面白い。加工はそのお店でやってくれるので(3日~4日かかる)加工してもらい、シドニーの友達のところへ送ってもらいました。
翌日、ルビーベイルを出発し、東海岸へ戻り南下。あちこち観光しながら10月8日、ブリスベン到着。やっとここまで来た。ところが、バイクのチェーンとスプロケット、タイヤがもう限界。悲鳴を上げてる。シドニーまでもう少しなのですが、チェーンは伸びきり、スプロケットは削れて手裏剣状態。仕方なく交換。ブリスベンからシドニーまでは1000キロ足らず。このままシドニーへ戻るのはあまりにももったいない。で、また西へ。目的地は「キャメロンコーナー」。

MK さんの体験談。Vol.7クライマックス。

キャメロンコーナー
キャメロンコーナーは、クィーンズランド州とニューサウスウェールズ州の境界線がぶつかってる所。と言っても別に何かあると言うわけではありませんが、ただ店が1件と標識が一つあるだけ。ただ、スプロケットとタイヤとチェーンを交換して、そのままシドニーへ行くのがもったいないから行っただけです。ちなみにここ、ダートです。
またブリスベンに戻り、10月18日ブリスベン到着。後はシドニーへ戻るだけ。
19月19日、ニューサウスウェールズ州に入りバイロンベイへ。ここはオーストラリア最東端。オーストラリアの東西南北4端の中ではここが一番楽でした。最西端へ行けなかったのがツライ。
10月20日、バイロンベイを出発。この頃になると標識に SYDNEY の文字が。あぁ~。早く着きたい!
いよいよ最終クライマックス!
10月21日、海岸線を南下。そしてシドニーへ行くハイウェイに合流。車線が一気に増える。ハイウェイが終わり、標識のシティーの文字に従って走りつづける。遠くにシドニータワーの姿が・・・。そしてハーバーブリッジへ。ハーバーブリッジ・・・。僕のラウンドの最終目的は「ハーバーブリッジを越えてシティーに入る」。いよいよハーバーブリッジを渡りきり、とうとうラウンドの最終目的の達成!!あぁ・・・ついにやった!!!
この時の僕の気持ちは言葉や文字ではとても表せない。目が涙でかすんでくる。オーストラリア大陸を走りきったこの満足感と達成感。もうなにものにも替えられません。同時に「もう2度とこんな事できないんだ」という寂しい気持ちもありました。
とにかく10月21日を以って、僕のラウンドは終了しました。シドニーでの宿泊先は出発前にステイしていたあの「東京ビレッジ」。ビレッジに着いた日の夜、ライダー達が出迎えてくれて、ビールをガバ飲みして祝杯をあげたのは言うまでもありません。やったぜ!
ラウンド終了!
と、まぁこうして、1月21日から10月21日までの9ヶ月間にわたるラウンドは終了しました。ラウンド中は「まだシドニーに着かねえのかよ」と思っていましたが、終わって見れば「あっ」という間。そんな感じでした。でも9ヶ月は長すぎ。普通は6~7ヶ月(短い人で3ヶ月)で終わるのですが、僕は行ったり戻ったりが多く、結局9ヶ月と言う長旅に。走行距離も46,000キロにものぼり、自分の事ながら「よくもまあこれだけ走れたもんだ」という感じです。最後に、僕がラウンドの中で出会った人々、いい思い出をありがとう。9ヶ月も僕と重い荷物を乗せてシドニーまで走ってくれた相棒「ドミネーター」ありがとう。そして、たくさんの人との出会いや素晴らしい風景を与えてくれたオーストラリア……。本当にありがとう。
マサからみんなへのメッセージ!
これからオーストラリアを旅したい方、自転車で回るも良し、バイクで回るも良し、車で回るも良し、電車で回るも良し、飛行機で回るも良し。オーストラリアの旅は何でもアリです。何をするのも自由です。1年間働きっぱなしでも、勉強しっぱなしでもいいと思います。これからオーストラリアに行く人は、ぜひ自分なりのオーストラリアを満喫して下さい。ゴーフォーイット(ジョイネット)に本当お世話になりました。

TOMOKO はちゃめちゃラウンド日記

こんにちは。三ヶ月をオーストラリアで過ごしたトモコです。はじめの一ヶ月はシドニーの空港に近いホストファミリーの家にお世話になり、学校に通いました。ここだけの話だけれど学校の友達とときどきエスケープしてお茶したりしちゃってました。次の一ヶ月はノースシドニーのほうに雑誌でシェアメイトを探し、そこから幼稚園のボランティアに参加しました。子供たちにうもれて、私のほうが子供たちに面倒をみてもらってました。ってな二ヶ月を大まかに書きますと過ごしたわけですが、本当はもっと書きたいことが山のようにこの二ヶ月にもあったのでありますがきっと書き出すと終わりがなくなってしまうので、もっともはちゃめちゃだった最後の一ヶ月ラウンドのことについて…
日本にいる時点では旅行できたらいいなぁというくらいの軽い気持ちだったのでまさか一人でラウンドすることになっちゃうとは…思い立ったら即行動という、いいのか悪いのかそれが私の性格でして…ちょっと話を聞きにだけ顔を出してみようと旅行会社に行ってみたわけでありましたが、その顔を出したその日のうちに速攻、ラウンド一ヶ月コースとやらを計画して、契約を済ませていました。家に帰ってからラウンドの為のリュック、運動靴、寝袋はどうしましょう?ということになり、シェアメイトに相談をしました。なんともまぁ親切な方々で、快く、ラウンドグッズをほとんど貸していただいちゃいました。感激。そんなわけで、なんとも無防備なラウンドが始まったわけであります。
11月6日、さっそくシドニーの国際空港へ。空港に着いてからはたして私の選択は正しかったのだろうかと。地球の歩き方も持たず、オーストラリアの全体図もいまいちわからず、自分がどこにいるのかさえもあやふやのまま飛び出してきたわけでまぁでもここまできてしまったものの後戻りはできないようだったのでそのままシドニーからアデレードへ、これまた小さな小さなすぐに墜落してしまいそうな小型機に乗りまして出発をしました。ドキドキで
アデレードに到着。私の中でのイメージは女の子行方不明事件だったので、夜に到着した私は、怖いながらもタクシーで YHA まで行くことにしました。このままこの笑顔のおじさんにどこかに連れて行かれたらどうしよう。そんな不安の中なんとか無事に入り口まで到着。そしたら、その運転手さんたら、わざわざ降りてきて荷物を運んでくれたではありませんか!なんてあったかい!出先は好調。そんでもってその YHA はやたらめったら綺麗で設備が万全で驚き。でもそれから一ヶ月たくさんの YHA に泊まったけれどそこがやはり設備の面では一番だっんじゃないかなぁ。
私の速攻作ったプランというのはシドニーから飛行機でアデレードへ。そこからガンという列車に乗りアリススプリングスまで行き、そこでエアーズロック二泊三日キャンプツアーに参加。そこから一気にケアンズまでバスを使い、そこから一ヶ月有効な乗り降り自由のバスを使ってシドニーへ戻ってくる交通費込みで1200ドル!という、格安プランを作ったわけです。まぁ一ヶ月でオーストラリアを半周してしまおうというなんとも無謀な旅行計画なわけでして…。とりあえずアデレードの町を次の日に観光。人見知りをしない性格らしく、YHAのキッチンで知り合った方々とお友達になり、どうやら同じ電車でアリスまでいくらしく、一緒に食料調達をしたりいたしました。
アデレードに一泊二日した後、朝、バンでアリスへ。友達とも車両が別々になり、とりあえず自分の座席探しを。ニコニコした、感じのよさそうなおじさんが隣の席に。そういえば私のツアーって駅までお迎えに来てくれるのかしら?アリスに着いたら私はどこへ行けばいいのかしら?まぁそんな心配もあったのだけれどアリスに到着したら、目がみえないくらいめちゃくちゃ笑顔の、オージーおじさんがでっかい看板を持って私を出迎えてくれていたではありませんか。良かった
大きめのバンに乗り込み私の今夜とまるバックパッカーズへ。パンフレットで見た、いかにもリゾートバッパーのような雰囲気はかけらもなく、ここに人が寝泊りできるのかと思うくらいのきったない部屋に案内されました。まぁ現実はこんなもんなんだろうとあきらめて部屋へ。そういえば料理をするために調味料を一応持ってラウンドに出てきたのだけれど、ご飯をなべで炊いて、朝はパンをかじって、果物をかじって、昼はサンドイッチ作って、そんでもって夜は缶詰め生活をしたので調味料ってほとんど使わなかったなぁ。
早朝六時に扉が壊れてしまうのではないかと思うくらいのノックで目覚め、ツアーへ出発。ドキドキしながら自分のツアーのバスが来るのを待った。きたきた。乗り込んだ。周りを見渡したら外人ばっかり。あたりまえといえばあたりまえだが、一人ぐらいは日本人が乗ってくるだろうと安易に考えていた私は甘かった。さっきまでのドキドキと一味ちがうドキドキが。いきなりの自己紹介。一番奥の隅っこに席をとった私は、まんまとトップバッター。英語でがんばった。学生のころ英語の勉強が大嫌いな私だったけれど とにかく洋画と外人さん好きで、自分が英語を話せたらどんなにいいかなぁ。とあこがれをもっていた私は、オーストラリアに来る前一年間英会話に通った。そこは先生たちがみな外人さんなのでとても身に付く英語を教えてもらえたため、日常会話くらいはできるようになった。でも今日このときほど、その英会話に感謝したことはなかっただろう。ところが問題発生。よーく耳をすましてみれば、みなさま母国語を使っていらっしゃる。スペイン、ドイツ、ポルトガル。おい。わかんないよ。英語にしとこうよ
とてつもなく不安と孤独を感じた。調子に乗ってここまで来てしまったが、場違いな気がして、シドニーへ帰りたくなった。なんてことをはじめてしまったのだろう。これから一ヶ月間どうしよう・・。バスに乗ってからの八時間近く、今までの20年間でこんなにもだまっていたことがあっただろうかというくらい、バスの隅っこでひっそりとしていた。私とは正反対でやたらめったら明るいガイドのけっこう年のおじさんは八時間しゃべり続けていた。
それにしてもこっちのガイドさんはすごいと思う。ドライバーもしながらガイドもして、ついでに料理もする。こっちのほうが身体を気使いしてしまうくらいハードな仕事だと思う。とくにこのガイドさん、もう若くないし。それはそうとして、運転しながらガイドをするのだけれど、いくら道なき道一本道をいくからって、ときどき後ろを振り返ってジェスチャーをしながら説明をするのは本当に怖かった。一言、前を向いて!と声をかけたかったよ。何回か休憩をしながら今日とまるテントに到着。二人用の小さなテントで、中にはちゃんと折りたたみ式のベットが用意されて、一人女の子で私のようにラウンドしている人がいて、その子と一緒に泊まることになった。現地で合流した子で、アメリカから来たらしい。やったぁ英語だぁ!
荷物を置いて、用意されたセルフサービスサンドイッチを食べ、今日の目的地の風の谷オルガへ。生まれて初めて背筋が凍るような感覚になった。唖然とした。巨大岩。砂漠の中にとてつもなくでかい岩がドシンとならんでいる。7キロくらいのハイキング?をした。とてもよい天気だったので周りがとてもよく見れて、気分がよかった。歩くのがもともと大好きな私なのではりきって歩いた。
はじめはなかなか自分から話しかけることができず、おどおどしていた自分だったけれど、ポルトガルから来ている四人の若めの人たちと仲良くなることができた。その後、エアーズロック(ウルル)をみながらのサンセット。あまりの美しさに声がなかった。日本から400枚分のフィルムを持ってきた私は、エアーズロックの写真を撮りまくった。(現像してみて同じ岩が何十枚もあり、やはり撮りすぎたかなぁと)エアーズロックは神秘的で、魅力的で、とにかくすごい
はじめはあまりお互いに話をかわさなかったツアーの人たちが、徐々に仲良くなりだして、夜ご飯のときはお互いの話を結構していた。このときは英語でねあまりの緊張と疲労でその夜は死んだようによく寝た。夜中にトイレに起きたときの満天の星空はまるでジャンプしたら手でつかめそうなくらい近くに感じたよ。
次の朝はエアーズロックの日の出を見るからと朝四時にガイドさんがテントごしに起こしてくれて、まだ暗い中、おなかも空いていないのに朝食を食べ、目をこすりながらバスに乗り込み出発。寒い。なかなか太陽が出てきてくれなくて凍えるかと思った。おっ!おおっ!出てきた出てきた!うわぁ!これも言葉では言い表せないよ。なんだか目が覚めて元気がでてきた。朝からエアーズロックふもとの片道7キロのハイキング。気持ちよかったよ。次の日はキングスキャニオンを朝六時から登った。確かに眠かったし、緊張で疲れていたけれど、ここにきたとき、あー、生きてて良かったぁと心の底から思った。絶壁をぎりぎりで登山していくのにはびびったけれどこんなにも景色で感激したことはなゥった。キングスキャニオンはみなさん登ってください。
不思議なことに二泊三日を過ごしてみると自然とみんなが仲良くなり、初日の不安はどこにいってしまったのだろうと思うくらい楽しくてしかたなくなっていた。お別れをするときは悲しかったよ。あらあら、ツアーって楽しいじゃない。もっと参加したい!帰るころには次のツアーをどうしようか考えている自分がいた。
エアーズロックツアーを終えた自分はなんだかとってもわくわくしていた。次の昼、グレハンのバスでケアンズへ出発。なんと35時間ぶっとうしの無謀バス横断。腰が痛い。眠れない。寒い。問題だらけのバス横断だったけれど時間と金のない私には選択の余地がなかった。
ケアンズに夜中に到着。あらかじめ予約していた YHA に泊まった。ケアンズは人が多いね。日本人もたくさんいたよ。エアーズロックで知り合った人にポートダグラスがいいところだと聞き、さっそく二日目の朝、熱帯雨林のツアーを申し込み、ポートダグラスで降ろしてもらうことにした。なぜか日本語の使えるツアーはお値段が高いので現地のツアーセンターに行って相談して格安で探した。行ってみたらなんとかなるもので
翌朝エアーズロックのときよりも小さなバンでお迎えが来た。わくわくしながら乗り込んだ。こっちのほうの熱帯雨林はとてもよいと聞いていたから。
参加した人たちがみんなフレンドリーではじめからみんなで盛り上がってたよ。みんな初対面なのにこののりに私は感動。実はツアーなのですが、申し込んだときに丁寧に細かい説明をしてくれたのだけれど、とても私の英語能力では理解することができないわけでして、どこへ行くのか、何をするのかよくわからないままドキドキしながら参加していたんだ。でもまたそれが楽しいんだ。笑
熱帯雨林を探検したりワニが出るという浜辺に行ったり、やしの木に登ったり、一メートル以上のトカゲが出てきたり、とにかく見るものやることが初めてのことばかりで驚きと感激ですごかった。その上、なんだかインディアンが出てきそうなバッパーにその夜は泊まった。それがまた虫が多いのなんのって!
次の日は朝から四時間の乗馬。この馬がめちゃくちゃ賢くて、熱帯雨林の中をスタスタと連れて行ってくれる。乗馬初心者だったのに、調子に乗って、ちょっと私馬に乗っちゃったりしてかっこいいかもと、勘違いをしていた。家族で経営しているらしい乗馬乗り場はとても小さいのだけれど、乗馬後、わか奥さんが手作りのケーキと紅茶を用意していてくれて、おじいちゃんがギターを弾きながらカントリーソングを歌ってくれた。
親元を離れての二ヶ月間。その間のいろんな思いと、いろんな出会い、別れ、たくさんの出来事が頭の中に思い出され、涙があふれた。オーストラリアにきて初めて涙が出た。止まらなかったよ。ふと周りを見たら、ほとんどの参加者が涙を流していた。一泊二日のツアーだったのだけれどなんだかこのツアーの人たちとは本当に仲良くなった。お別れのときはお互い抱き合って泣いたよ。
ポートダグラスは想像以上に私の大好きな雰囲気で、5日間もいた。とっても小さな町で歩いて30分くらいで見渡すことができる。とっても静かな海でボートもたくさんとまっている。日曜の朝には市場をやっていて、(これもたまたま行ったらやってた。)手作りの物をたくさん売っていた。時間さえあれば、ずっとそこにいたかった。そういえば関係ないけれどそこで知り合ったイギリスの女の人にテキーラをおごってもらっちゃったよ!
グレートバリアリーフに行きたかった私はそこからのシュノーケルの半日ツアーに参加することにした。20人くらいの比較的小さなボードに乗り込み、出発。その船にガイドとして乗っている14歳の女の子に出会ったんだ。彼女はインド出身で学校には行っていないらしい。親元を離れてボートで旅をしているんだよ。彼女は息継ぎをしなくても長く水の中にいることができるし、船から飛び込みをしたりと、まるで人魚のようだった。ううん、きっと人魚。彼女が私についてくれて、手取り足取り教えてくれた。すごく仲良くなって、ツアーの間ずっと一緒にいた。ただのシュノーケルなのに自分の下を一メートルくらいの海カメが泳いでいたり、50センチくらいのサメが泳いでいたりと、まるで水族館の中にいるような感覚になった。でもね船酔いしちゃって・・・三箇所連れて行ってくれたのだけれど最後のところではもぐることができなかったんだ。残念。ブッフェ式のランチを船の上で用意してくれて、それを気持ち悪いながらも食べたら、なんとか復活して、ツアーの人たちとお茶をした。
ポートダグラスから一気に27時間バスに乗ってハービーベイへ。フレーザー島に行きたかったからさっそくツアーを探した。そしたら
そもそも私のオーストラリアへ行くに当たっての夢は
1.イルカにあう
2.コアラにあう
3.乗馬
4.カンガルーにあう
ということだった。
一番の夢のイルカにあうというのはなかな難しいことだと聞き、半分あきらめていたのだけれど、なんと夢が叶うことになったんだ!一日限定10人で天然イルカに逢えるというツアーにそこの YHA から参加できることになっちゃったんだ。その日の夜は眠れなかったよ。朝六時にYHAに小さなバンが迎えに来てそれに乗り込み、イルカにあえる浜辺に連れて行ってくれた。イルカは多くて四匹、少ないときには一匹のときもあるらしいが、その日は二匹きてくれた。イルカはなでてはいけないらしいけれど餌をあげることができた。可愛かったよぉ!
その次の日からはフレーザー島への一泊二日ツアーに参加。でっかい4WDに乗り込み出発。その4WDの乗り心地は最高だった。まるで戦車みたい!ガイドさんはちょっとちび黒サンボに似た若い兄ちゃんだった。白い砂でできているフレーザー島はとても神秘的。目が点になったよ。とても静かで、綺麗で、無人島みたいだった。肉食のディンゴがお出迎えしてくれたんだ。がりがりに痩せこけている犬だったから、この犬が人を食べてしまうことが信じられなかった。あらあらイルカがジャンプしてるじゃありませんか!がけから下を見下ろせばサメがうようよ泳いでいるではありませんか!マグロにエイにカメに・・竜宮城みたい!すごく綺麗な透明な海の水だったのだけれどサメがうようよだから遊泳禁止で泳げなかったんだ。残念。でもフレーザー島には池があってそこでみんなで水遊びをしたりして遊んだ。このツアーの参加者はけっこう高齢者も一緒にいたのでなぜかリッチになった気になった(なんでだろう…)。
ハービーベイから今度はヌーサへきた。ラウンドをはじめてから初めて雨が降ったんだ。ここまで毎日が目まぐるしく過ぎたから二日間ここで休養をとった。ここら辺にくるとアジア系の人たちが結構旅行をしているのだけれどクイーンズランドのほうはヨーロッパ系の人たちばかりでアジア系の人たちはいなかったんだ。
次はバイロンベイへ。ここは芸術的な町だと思った。ファイアーダンスの練習をしていたり、民族楽器を演奏していたり、絵描きがいたりヨガをしているひとがいたり・・・とにかく町のいたるところに芸術家がうようよいる。若い人たちがたくさんいて、すごくにぎやかなのだけれど、うるさいわけではなく、みんなそれぞれの時間を楽しんでいて、その場にいるだけで自分も楽しくなれた。とっても魅力的な町だと思ったよ。建物とかもなんだか落ち着いていて雰囲気が最高だった。時間さえあったら長くいたかったのだけれど二日間しかいられなくてとても残念だったよ。
そんな感じで気が付いたらあっという間に一ヶ月が過ぎてしまった。風邪も引かず、怪我もなく、なんとか生きて帰ってくることができた。ただ、エアーズロックのテントの中にジーパン忘れてきちゃったんだよね。
毎日が驚きと感動の日々ですごく慌ただしかったのだけれどこんなにも充実した時間を過ごすことができたこと、私は本当に幸せだと思います。このラウンドでいろんな国の人たちと出会うことができ、たくさんの友達をつくることができた。私の一生の宝物になったよ。初めは泣きそうになるくらい不安だったのにね。なんだか少し強くなった気がします。たくさんのことを学ぶことができました。でもやっぱり三ヶ月は短かったなぁ。
こんな感じで、無事に日本に生きて帰ってくることができました。行き当たりばったりの旅行も楽しいよ!オーストラリアでは一回もホームシックにならなかったのに日本に帰ってきてから二日でオーストラリアシックになりました。あー戻りたいよぉ!オーストラリアは私にとって天国でした!

KUNIYO のラウンド日記

10月5日。天気は晴れ。車でシドニー空港まで向かい時間が経つにつれて緊張し、口数も減り。心の中で思っている事はただ1つ。一人で無事に旅をしてシドニーまで戻ってこれるかという事。期待や楽しみもあったのですが、不安の方が大きかった。飛行機の中ではたまに寝つつ空を見たり…。出発は1時間近く遅れたものの無事にケアンズ到着。
ケアンズ
ケアンズの町はとても小さいのですが何か人が優しくてのんびり時間が過ぎている気がした。ケアンズは思っていた以上に暑くて夏ってカンジだった。ウワサ通り日本人が沢山。観光か、学生か、ワーホリか…。アボリジニも沢山。ケアンズの海はキタナくて。ケアンズのイメージはキレイな海だったから少しガッカリ。でも公共のプール(ラグーン)があって日曜日だったせいか多くの人が泳いだり、寝たり、リゾート地ってカンジがした。ケアンズではスキューバのオープンウォーターライセンスを取得したのですが、初めてグレートバリアリーフを見た時の感動、潜った時の感動は時間の経った今でも覚えてて、きっと忘れる事はないと思う。口ではうまく伝える事が出来ないけれど、とても神秘的なものだった。本当に心からライセンスを取って良かったと思った。
エアリービーチ
エアリービーチは静かな町であまり日本人はいなかった。私はここからDay Tourでハミルトン島&ホワイトヘブンビーチに行ってきた。ハミルトン島はあまりゆっくり見る事が出来なかったけど、何と言ってもホワイトヘブンビーチのキレイさにはビックリした。本当に白い砂に青い海。絵や写真のようなビーチ。天気も良かったせいか太陽の光が白い砂に反射して眩しくて目が開けられない程。こんなにキレイな場所があったのかっていう位。周りには家族づれカップル。私の場合はかるく一人ハネムーンだったけれど、名前のごとく天国のようなビーチだった。この場所は本当におすすめ!!特にカップルには…。Airlie Beachは、私にとってホワイトヘブンに行く為の土地(町)のようになってしまったけれどAirlie Beachもとてもキレイなビーチだった。もう少しゆっくりしてたかったな。
ロックハンプトン
最初からの予定でロックハンプトンはグレートケッペル島に行くために立ち寄った町だったので、ロックハンプトンでは何も出来なかった…。グレートケッペル島までフェリーで行った。ホワイトへブンとは違うキレイさだったけど、ここも本当にキレイな島だった。この島は周りに確か17コのビーチがあって、ひとつひとつ違う顔のビーチで私は全部で5つのビーチを2泊3日で見に行った。メインビーチ(YHAの近く)から他のビーチまでは山を登って下りなければ行けなくて、往復2or3時間かけて行ったビーチには誰も人がいなくて、本当にプライベートビーチだった。周りの音は波の音と、鳥の鳴き声と風の音…時間が本当にゆっくりと流れていてここもまた天国かと思うような場所だった。海ガメも沢山の野鳥も見れた。キレイでゆっくり出来る島だと感じた。
ハービーベー
ここはフレーザー島へ行く為の町みたいで、観光するような場所はあまりなく…。そんな町なのに私はフレーザー島にも行かず。なので、ハービーベーは良く分からないのです。
ブリスベン
ブリスベンに着いて一番最初に感じた事(印象)は“都会”だった。ケアンズを出発してずっとバスに乗り小さな町を見てきたせいかブリスベンの町が見えてきた瞬間都会だなぁって思ってしまった。高いビルが沢山あって大きな橋もあって電車まで通ってて、心なしかシドニーに少し風景が似ているかなって。昼間に町を散歩していても色々な国の人々が沢山いて、町の中心部はビジネス街のようなカンジだった。サウスポートに行くと、家族づれ、子供たち、カップルetc…の人達がラグーンで本を読んだり、日焼けをしていたり、休日を満喫しているかのように見えた。大きな町のせいか、こういう場所がブリスベンの人達の安らぎの場所なのかもしれない…。
ゴールドコースト
私がゴールドコーストに行った時は偶然1年に1回のカーレース(!?)のインディが始まる1日前で普段のゴールドコーストとはまた違うカンジだったと思う。とにかくものすごい人でにぎわってて、活気がある町だなぁと感じたのが最初の印象。町中を見てても若い人が目立っていて、日本人も多くいた。それからサーファーズの海!!何かの本に書いてあったけど、黄金の長く続く砂浜。そのまんまだった。サーファーが沢山いて、長い砂浜には平日なのにもかかわらず30代、40代、50代のおじさん、おばさんまでもがのんびり時間を過ごしていた。サーファーの町と言われているだけあってサーフショップも多く目につき、町中でも水着の人が多々いた。インディが始まるとその会場近くにいなくても車のすごい音がいたる所から響いていて、何とも言えない状況で…。またインディの催し物もすごくて昼間はセクシーな金髪ギャル(レースクイーンのような人達)が町中を歩いていたりローラースケートで歩いていたり、夜になればパレード、花火、コンサートのようなものが開催されていて、とにかくすごかった。海好きの私にとって、この場所は住んでみたいと思う町だった。
バイロンベイ
バイロンベイと言えばライトハウス??とウワサで聞いていて行こうと思ったが着いた初日は大雨…。同じバッパーの人達に聞いたら最近ずっと雨って言われて(夕方になると)。でも次の日の朝、早起きして友達と1時間ちょいかけて歩いてライトハウスまで。疲れたけど来て良かったって思える場所だった。クジラやイルカも見れて、ライトハウスから見える風景はものすごくキレイで、でも自然の力強さも感じて。ここは一度は行くべきと思った。バイロンの町はここもまたサーファーの町でサーフショップもいっぱいあり、サーフボードを片手に歩いている人々も沢山いて、町自体も小さいけれど、キレイな町だった。カワイイお店も沢山あった。バイロンベイに来たら、“NIMBIN”に行った方がいいと言われていたのでDay tourで行ってみたら…。異様な町だった。Busを降りた瞬間、何か変な臭い。町はとーっても小さくて通りはひとつ。端から端まで10分もあればOK。でも、すごく異様な町。お店ひとつひとつはカワイイ絵が書いてあったり何となく芸術の町ってカンジなのですが、どこを歩いていても変な臭い。行ったことのある人なら分かると思うんですが…。ここも一度は行ってみてもおもしろいかも。
まとめ
ケアンズ~シドニー間での思い出はこんなカンジです…。本当にうまくまとめられたら良かったんだけれど、書きたい事が多すぎてまとまりのないものになってしまいました。すみません。ただ、この旅を通して何を学んだかとか、何を一番感じたかって言うと人との出会いの大切さ、素晴らしさです。私は今まで一人で旅もした事がなくて英語もろくに話せない。そんな私がひとりで旅をして不安も沢山あったけれどお金じゃ買う事の出来ない思い出と素晴らしい出会いを手に入れる事が出来ました。友達同士、恋人と一緒に旅をしていたらそれはそれできっと楽しい思います。でも一人だからこそ学べたこと、楽しめたことも沢山ありました。最初は何も分からなくて、出来なかった事もひとりだからやらなきゃ仕方なかった…。そうしているうちにそれが当たり前のように出来るようになって。色々な意味で強くなれた旅でした。今は本当にひとりで旅をして良かったって心から言えます。
最後に、私が無事にケアンズ~シドニー間を楽しく旅できたのは色々な人達に助けてもらい、時には励ましてもらったからこそ出来たことです。そんなみんなにこの場をかりて感謝の言葉を伝えたいと思うんです。
ケアンズ Naoko san、Mikako、Yukari
エアリービーチ JEN、Mitsu、Tomomi、Yumichan
グレートケッペル島 GAVIN
ハービーベー Nadja、Sara
ゴールドコースト Yayoi、Naochan、Fumiko、Yoko
バイロンベイ Saho
他にも沢山の人達に助けてもらいました。でも特にこのみんなには心から“ありがとう”と伝えたいです。みんなに出会えたからこそ本当に楽しい旅をすることが出来ました。これからオーストラリアに来ようと思っている人、ラウンドに出ようと思っている人。私はひとり旅をおすすめします。不安が山ほどあったとしても帰ってきた時、全てひとりで終えた時の達成感、思い出、出会いは他の何ものにも変えることが出来ないと私は思いました。迷っているなら行動するべき!!!せっかく来たオーストラリアでの生活を楽しくするのも、つまらなくするのも本当に自分次第だと思います。
《注意してほしい事》
私はケアンズ~シドニーをずっとBusで来たんですが、バスは本当に寒くて疲れます。長距離バスに乗るなら寝袋とマクラは大切!!
シドニーに戻り、今度は1週間のピッキング、キャンベラ、メルボルン、アデレード、アリス、エアーズロック、パースを旅した私は本当に良い思い出を作ることが出来ました。

NAOTO の STREET JOURNEY

序章:旅立ち
朝起きて、適当に学校に行き、適当にバイトして、適当に恋愛する。そんな、何処にでもいる普通の大学生だった僕には、夢があった。僕の唯一の特技である「サクソフォーン」を吹いて、世界中の人を感動させる事だ。夢を実現させるためには、日本でじっとしてられない!父親からワーホリの情報を耳にした僕は、早速インターネットでワーホリを検索し、「GOFORIT」の存在を知った。早速、ワーホリのサポートを依頼した。同じにビザを取得した。親しい友達とお好み焼きを食べに行き、しばしの別れを惜しんでいた。又、親友の親は、僕に餞別といって、一万円くれた。出発の日は、父親が東京に出張する用事があったため、二人で新幹線で仙台から上京し、東京駅で別れた。
第1章:シドニー到着
シドニー空港に到着した僕は、税関で僕の楽器に税金がかかるのではと、心配していた。しかし、趣味で楽しむ物には、税金はかからないとの事。安心した僕は、空港入口で待っててくれたスタッフのアキさんと出会う。アキさんは僕に親切にシドニーでの暮らし方を教えてくれた。シドニー滞在二日目、僕は早速バスキングの許可を申請すると、街に出た。初めて路上で演奏した。始めの音を出すまでは緊張していた僕だったが、僕の音が響くと同時に、肩の力が抜けて、自然と演奏に集中できるようになった。最初のお客さんは、お婆さんだった。それにしても、若い、明るい。年を感じさせないそのエネルギーに、僕は驚いた。僕の音楽にノリノリだった。お婆さんは僕に$1くれた。結局、その日僕は3時間で$70も稼いだ。
第2章:バックパッカー
シドニーに来て1週間、ホームステイをしていなかった僕は、安いバックパッカーの目星を付けていた。なんと、1週間$80、無料でご飯とパンが付く、好待遇だった。僕は期待に胸を躍らせ、キングスクロスへ向かった。受付の黒人の兄ちゃんが中を案内してくれた。はっきり言って、キッチンが汚かった。トイレはもっと汚かった。お金のない僕はここに滞在する事にした。まさかここに、半年も滞在する事になろうとは知らずに。荷物を運んでいる時、一人の韓国人の少女が僕の楽器を指差し、「これは何?」と聞いた。僕は、「これはサクソフォーンという楽器だよ。」と答えた。彼女が後に、僕の運命を変える事を、その時はまだ知らなかった。その夜、僕は彼女の誘いで、韓国人達の飲み会に参加した。そこで僕は得意のサックスを披露した。彼らはとても喜んでくれたが、きりなく次から次へとリクエストしてくる。やっと演奏を終えた僕は、フレンドリーな彼らとすぐ友達になった。例の女の子が僕の演奏がよかったと誉めてくれた。それから僕らは、特に仲良しになった。しかし彼女は英語があまり得意ではなかったので、僕は韓国語を習う決心をした。韓国の彼女が帰国する時、僕は彼女の連絡先を教えてもらい、絶対韓国で会おう約束し、彼女を見送った。今度会う時は、韓国語でと付足しつつ、彼女が見えなくなる迄、手を振り続けた。
第3章:語学学校
毎日、サックスばっかり吹いて、酒ばっかり飲んでる僕に対し、父親から「お金を出してやるから、語学学校に行くか?」とメールが届いたので、早速、評判のいい「ラリングア」という学校を紹介してもらい、通う事にした。授業初日、僕は自分の趣味を聞かれると、即座に「サックスが得意」と英語で言い、披露して見せた。それが好評で、僕は学校でも評判になった。冗談が大好きな先生のクラスで授業を受けた僕は、学校に行きたくないと思った事は、1度もなかった。僕は同時に、韓国語を夜間に習っていたため、3時30分に学校が終わると、路上の「仕事」をこなし、7時からの韓国語教室に向かうのだった。 忙しくも楽しい時間は瞬く間に過ぎ去り、僕は11月にパースで行われるラリーが見たいので、学校を2ヶ月休学し、旅行を開始した。この旅行には例のバッパーで知り合った日本人の Y 君と、韓国人の K君が同行した。
第4章:アデレード
例のバッパーで知り合った日本人男性1人と、韓国人男性1人と一緒に、パースへ行くことにした。インディアン・パシフィック号に乗り、アデレードへ向かった。初めて、オーストラリアの広さを実感した。1日かけて、隣の都市へ移動するのだ。アデレードに着く頃には、慣れない座席での「座り寝」をするため、すっかり寝不足だった。
アデレードで僕は、バッパーに荷物を置くと、早速ショッピングモールへ向い、演奏を始めた。すると、道行く人達は、僕が珍しいのか、皆、僕の方を振り向く。どうやら僕はこの街では新参者なので、興味があるようだ。そんなわけで、僕は40分程、そこで演奏した。すると突然、目の前の店の店員が「もう30分経ったけど、君が楽しんで演奏していたので、声をかけ辛かったんだよ。」と僕に告げた。どうやら、ここアデレードのルールでは、30分毎に違う場所へ移動しなければならないらしい。
そんなわけで、場所を移動した。気を取り直して演奏していると、一緒にアデレードに来た Y君達とばったり会った。彼らのリクエストを受け、「ドラゴンボール」を吹き始めると、突然、道行くおじさんが地面に倒れ込んで、足をバタバタし始めた。僕は、何か悪い冗談なのかと始めは思ったが、どうも様子が変だ。僕は、厄介な事に巻き込まれてはかなわんど、楽器をかたずけ、様子を見ていた。しばらくすると、救急車が到着し、おじさんは運ばれて行った。集まった人に聞いた所、おじさんは心臓麻痺を起こしたらしい。Y君は僕に、「奈央人、人を殺すなよ!」と釘を刺した。僕のせいじゃないのに、、、
第5章:メルボルン
アデレードでY君の友達の女の子2人と出会った、5人はメルボルンへオーバーランド号で向かった。その女の子の1人、Y美は、Y君からタバコ1本につき、30セント徴収していた。僕が、彼女らの卵を使って料理した卵焼きを男3人で食べてしまったため、ごはんのおかずにと、食堂で10ドルもする食事を僕が奢った。メルボルンでは、バスキングの許可が無料で、しかも半年有効だった。ビバ!メルボルン!その日は、$20程稼いだが、結局、彼女らの為に食材を買ったので、それは殆どパーになった。挙句の果てには、どう見ても地元の高校生らしい男に「電話するから40セントくれ」と言われる始末。僕も彼はマジメそうに見えたのと、たかが40セントごときと思ってあげてしまった。でも、メルボルンで僕の演奏は好評だったので悪い気はしなかった。
第6章:グレート・オーシャン・ロード
5人でシェアしてレンタカーを借り、絶景が数多く見られる、グレート・オーシャン・ロードへ向かった。Y君は、日本で走り屋だったので、運転は僕よりずっと上手かった。最初に、ヤラ・バレーでオランダ展覧会と称し、チューリップ畑やオランダ風の衣装をまとった女性がスタッフをしている所へ向かった。例の女性達の意向である。そこで韓国人の K 君が、花畑をバックに写真を撮ってもらうと、Y君、「It’s miss match」と冷やかした。ヤラ・バレーから3時間ほどドライブすると、グレート・オーシャン・ロードの入り口に差しかかり、皆で写真を撮った。
それから1時間位後、車の中で奇妙な臭いが漂った。男3人は気付かなかったが、女性2人が急に気持ち悪いといい、僕らは車を近くのパーキングへ停め、30分位休憩することにした。臭いの元は、僕が作って、皆が食べ残した親子丼の残りだった。なんとタッパーの蓋がきちんと閉じていなかったようだ。それと、山道を走った事もあり、彼女らは、気分が悪くなったのだろう。気を取り直して、これから出発する前に、Y君が「運転してみるか?気分がましになるぞ。」と彼女らに言った。この時僕は、嫌な予感がした。その予感はすぐに的中した。Y美は、雨の中、暗くなった道で、ロービームライトで80km/hで走り出した。しかも、山道下り坂。熟練した走り屋ならともかく、彼女は走り方がはっきり言って下手だ。しかも、運転中に後ろの席のM佳としゃべりだし、後ろを振り向き、笑い出す始末。僕とY君の背筋は、凍りついた。僕らは、この状況の怖さを熟知しているからだ。僕はすかさず「ライトをハイビームに変えて目線をできるだけ上に上げて」と指示した。するとM美は「うるさいなー」と一蹴した。僕は懲りず「いいからハイビーム」と言うと、しぶしぶハイビームに変えた。Y君は、後ろから車が来た時、道を譲るように指示した。僕は今生きている事が、不思議でしょうがない。
第7章:アリス・スプリングス
Y美、M佳とメルボルンで別れ、F林というY君の友達と再会した僕らは、4人でエアーズ・ロックのあるアリス・スプリングスへ、ザ・ガン号で向かった。アリス・スプリングスは10月でも、真夏の京都のように、頭がのぼせる暑さだった。アリス・スプリングスでは、ツアーに参加し、キングス・キャニオン、風の谷マウントオルガスや、エアーズ・ロックを周った。
初日、キングス・キャニオンを拝みに、山道を歩いて行くと、ガイドが説明のため、足を止め、休憩となった。皆が休んでいると、1人英国人が、皆の見ている前で、いきなり崖から墜落した。ガイドが慌てて崖まで近寄ると、彼は、崖の先にある小さな段差の上に隠れていた。皆を驚かせるため墜落したふりをしたらしい。2日目の夜、エアーズ・ロック・リゾートというキャンプ場で、野外用の寝袋を使い、満天の星空の下で寝た。久しぶりに綺麗な星空を見た。3日目、朝4時起床。眠い目をこすりながら、エアーズ・ロックへ向かった。しかし、風が強くて、登山路は閉鎖されてしまった。結局、エアーズ・ロックには、登る事は出来なかった。折角、ここまで来たのに、、、
第8章:パース、エスペランス編
僕ら4人、珍メンバーを乗せたインディアン・パシフィック号は、パースに到着した。ここで、Y君、K君と別れ、バッパーで知り合ったK織、Y己とともに、エスペランスへ向かった。夕暮れ時、アルバニーに向かって車を走らせていると、何とガソリンが無くなりかけているではないか。このままでは、次の街までガソリンが持たないと判断した僕は、車を60km/h位で走らせ、坂を下りる時は、ニュートラルで下り、少しでもガソリンを節約した。おかげで、なんとか次の街に着いた。しかし、夜7時で、ガソリンスタンドが閉まっていた。これだから、WA は、、、
次の日、エスペランス迄400kmという街迄来ていた。しかし、もうすでに午後5時。エスオエランスのバッパーは、夜9時で閉まる。仕方ないので僕らは時速120km/h位で、4時間走り続け、夜8時50分頃バッパーに到着した。WA不便すぎる、、、
気を取り直して、エスペランスの綺麗なビーチを満喫し、街の展望台に来ると、暴走族が走って、タイアの跡が残っていた。この後、様々な場所でこのような焦げ後を目撃する事になる。さて、エスペランスのピンク・レイクだが、塩分濃度の高い湖は、みんな臭いらしい。
レンタカーの料金が高くならないように、本来なら、4泊5日は必要な日程を3泊4日に縮めたため、僕らは、エスペランスからパース迄、約800kmの道のりを夜通し走ることになった。でも、途中で出会った数々の美しい風景には、心を奪われた。しかも、カンガルーを跳ねかけたし、本当にいい経験したよ、俺。(やけくそ)途中で寄ったガソリン・スタンドでは、コーヒー無料だったので、4人で飲んだ。すると、3人分の6ドルの請求が来た。よく話しを聞くと、無料になるのは、ドライバーだけらしい。ケチケチすんな、ボケ! とまぁ、気を取り直して街灯の無い闇の中を走り続けると、ウェーブ・ロックに着いた。そこでは、すっかり真っ暗だった為、ウェーブ・ロックの姿を拝む事は出来なかったが、満天の星空は、最高だった。翌日、レンタカーを返す時、アンテナが有るだの無いだので、結局46ドル請求された。始めから、簡単にとれる様に、安いアンテナでもくっ付けていたのではないかと疑ったが、現物が無い以上、どうしようもない。僕は、WA の美しい景色の虜になったが、WA の商売する人間は、大嫌いになった(怒)
第9章:パース・ラリー編
パースに到着して、5日位経った頃、僕らは、ここに来た目的を果たすべく、ラリーを観に行った。チケットは、立見席で1人$15と、以外と安かった。ラリーはラングレー・パークという巨大な公園で行われた。しかし、市内から歩いて行ける距離にある事がすごい。早速僕らは、期待に胸を躍らせ、ラングレー・パークのゲートをくぐった。 僕らは公園の端の方のベンチの上に立って、ラリーを観る事にした。いよいよレースが始まると、時速200km/hからの慣性ドリフトの迫力に僕らの目は釘付けになった。僕は夢中でカメラのシャッターを切った。しかし、それらの写真を現像してみると、暗闇のため、ほとんど何も写っていなかった、、、
第10章:パース・演奏編
ラリーが終わって3日程は、風邪のため寝込んでいた。ようやく風邪が完治した僕は、バスキングの許可を取り、パースのショッピング・モールでの演奏を開始した。演奏しながら僕が感じた事は、道行く人達が、シドニーにに比べてのんびりしている事だった。ビジネスマンは別としても、基本的に皆、歩く速度がゆっくりだ。そんな事を感じながら演奏していると、突然、道行く地元の高校生らしい男が、僕のサックスのベルの部分を手で押えた。ベルをふさがれて、行き場を失った僕の息は、僕の口に帰って来た。僕は思わず、咳きこんでしまい、「何をするんだ!」を言ったが、彼曰く、ただ興味があったからとの事。興味半分で咳きこんだ僕の立場はどうなる?
第11章:シドニー到着
約1ヶ月半のラウンドを終え、僕らは、シドニーに帰って来た。見慣れた風景がそこにはあった。再び僕らは例のバッパーに帰ると、やっぱり住み慣れた所が落ち着くなと実感した。僕は再びバスキングの許可を取り、またいつもの様に演奏を再開した。久しぶりにサックスを吹いたけど、すこぶる調子がよい。しかし、僕が気持ち良く演奏していると、1人のおばさんが、僕に対して中指を立て「私の心は私の物。私のお金も私の物。だから、あなたのやってることは、違法行為だわ!」とヒステリックに抗議した。僕は、学校で習った反撃法で、彼女に抗議し返した。「どうも。俺もあんたを死ぬ程憎んでるよ。消えろ」と反撃し、怒ったおばさんは、そのまま何も言わず、人ごみの中に消えていった。もう2度とくるな!
第12章:The story of H美
僕らがインディアン・パシフィック号で出会ったH美という女性も、僕らと同じバックパッカーに泊った。これが後にとんでもない事件を引き起こすことになるとも知らずに、、、
彼女はパースでオーペアを追い出された事があるらしい。別に、浮気というわけでは無い。筋書きはこうだ。
彼女はベビーシッターのオーペアをしていた。奥さんの日本人が日本に子供と一緒に里帰りしていた時、旦那さんと一緒に、毎日お酒を沢山飲んだ事が原因で、オーペアを追い出された。でも、旦那さんは本当にいい人で、H美がジンを飲みたいと旦那さんに言うと、旦那さんは、それをごっそりと買ってきてくれたのだ。そんなわけで、酒代がかさみ、彼女は追い出された。そして、行くあての無い彼女は、シドニーへたどり着いた。そこでも彼女は、お酒を沢山飲んで、トイレで便座に座ったまま、寝てしまった。そして、掃除係が朝、トイレを掃除しようとドアを開けると、そこには寝てるH美と彼女の排泄物が床に転がっていた。それでも、掃除係は可哀相に、それを掃除しなければならなかった。H美の伝説は、これだけでは終わらなかった。彼女はパースに戻る際、リフトでパースに向かった。そこで彼女は、酒に酔って、タバコの火の不始末で、リフトメイトのテントを燃やしてしまった。その後、彼女の行方を知る者はいない。
第13章:The story of H子
僕がこの旅行を語る上で、欠かせない脅威である H子についてのついての話をしなければなるまい。事の始まりは、2ヶ月程遡るが、僕がいつもの様に、バックパッカーのキッチンに行くと、壁のように太く、猪の様にいかつい顔をした女性が何やら韓国語で話をしているではないか。僕は、この手の女性は苦手なので、関わりあわないように努めた。 これは人から聞いた話だが、彼女が2段ベッドの上の段に飛び乗った際、ベッドの床が抜けて、弁償させられたらしい。
僕がシドニーに戻る途中、H子がバッパーから宿泊拒否された話しを聞いて、僕は自分の耳を疑った。事のあらましはこうだ。僕らより一足先にシドニーに帰ったK君が、その時、ニュージーランドにワーホリで行ってたH子を電話でシドニーに呼び戻した。一緒にシェアルームに住もうと約束して。ところが、K君に彼女が出来てしまい、H子に冷たくなった。そしてそのまま、その約束は流れてしまった。その事に激怒したH子は、K君の腕をつかんで、「どう言う事なの?」と問い詰めようと試みたところ、H子の付け爪がK君の腕に当たって、それがひっかき傷になった。それがオーストラリアでは問題になるため、それを見付けたバッパーの受付係が、彼女の宿泊拒否をしたのだ。
そのH子とも、僕は忘年会で同席する事になった。忘年会は、日本食居酒屋で行われた。彼女は次々と料理を注文すると、すごい勢いで食べだした。まるで猛牛のようだった。後で会計を済ませると、総額$252.7人で払って、1人あたり$36も支払った。実際、その内の半分は、H子が食べたくせに、、、 さらに、これは後で聞いた話だが、H子は、知り合いの男に、キスを要求した事があるらしい。ああ、もう僕からは何も言うまい。偉大なるH子に栄光あれ。
第14章:メルボルン その2
H美、H子騒動も落ち着いた後、僕は再びメルボルンへ向かった。メルボルンでは、前に取った許可が残っていたので再びバスキングをする事にした。そんな中、日本人のシェアメイトはお酒がとても好きだったので、僕は毎晩のように沢山お酒を飲んだ。彼女もまた、H美予備軍だったのだ。そんな折、シェアメイトの友達がパーティを催したので、僕は韓国人のふりをし、日本人との会話をすべて英語でした。驚かすチャンスを待っていると、出席者のなかの1人がポラロイドカメラで写真を撮ったので、すかさず僕が「この写真、思ったよりよく撮れてるね。」と言った。一瞬、場の空気が固まった。そしたら日本人の参加者が、「日本語上手ですね。」といったので、本当の事を言ったら、彼女は笑った。ドッキリ成功だった。
そんなわけで懲りずに、次の日もまた、BBQで日本人の英語の先生をだます事にした。今度は、シェアメイトも韓国人だという嘘をついた。先生は「韓国の英語教育についてどう思います?」と質問した。僕はすかさず、取って付けたような嘘をついた。「ネイティブの先生が各学校に1人ずつ居て、授業をします。」と僕は言った。その後、僕はまたタイミングを見計らい、本当の事を言ったが、先生は僕が日本人であることにすでに気付いていた。どこでばれたか尋ねると、先生曰く、「韓国の英語教育事情は、日本より30年進んでいて、英語の先生が海外へ留学できるシステムがあるんだ。」と説明した。それに、僕の英語の発音が日本人ぽかったと言った。先生恐るべし。
第15章:タスマニア
僕は、タスマニアを、日本人のT君と一緒に周った。タスマニアはどこも景色が美しく、自然の多い島で、まるで北海道のようだった。でも、あの道端によく転がっているタスマニアンデビルの死骸が多かったので、どうにかならないものかなと思った。T君はポートアーサーで、心霊写真を撮ってしまった。建物の写真を撮っていたところ、デジカメを見ると、写真の下半分が白い煙みたいな気体で覆われているではないか。T君は気味悪がって、その写真を削除していたけど、、、気を取り直して、最後の夜は2人で記念にカジノへ行き、ブラックジャックをやった。最初は2人とも$30程勝っていたのだが、最終的には僕が$40、T君がなんと$100も負けてしまった、、、でも、ロスという小さな街で「魔女の宅急便」のモデルになったパン屋を見る事が出来た。なんでも、お店が忙しくなければ、店のコスチュームを貸してくれるらしい。でも、僕が行った時は、店は忙しそうだったので、カワイイ店員さんの写真を写してきた。
第16:結婚式
涼しい風が心地よい15:00、僕は着慣れないスーツを身にまとい、シドニーのフィッシュマーケットのガレージの上に立っていた。今日、シドニー郊外にあるブライトンという所で結婚式を挙げる、オージー男性とイスラム系女性のカップルと、ピックアップの約束をしていたからである。今を遡る事3ヶ月前、僕はシドニーの街角でいつもの様にサックスを演奏していたら、彼らと偶然知り合い、彼らの結婚式でサックスを演奏して欲しいと頼まれた。
僕は、フィッシュマーケットの中を、彼らの姿がないかどうか探し回った。その内、僕は一端の不安を感じた。フィッシュマーケットは結構広いので、待ち合わせをするなら、「大きな蟹の看板の前」等と、詳しく場所を指定する必要があったのだ。その事に気づいた僕は、すぐさま彼らに電話した。彼らは僕に、「タクシーでブライトンまで来てくれ。金は払うから。」と僕に告げた。うーん、オージーはいい加減と聞いていたが、ここまでとは、、、僕は早速タクシーをつかまえると、指定されたブライトンのホテルへ向かった。ホテルは、車で20分もかかる場所にあり、料金はなんと$36.20にもなった、、、普段タクシーを利用しない僕には、衝撃的な金額であった。それだけあれば、どんなに美味しい物が食べられる事であろうか(ただしh子と食べに行ったらこうはいかないだろうなぁ)
結婚式はホテルの中のレストランで行われる。しかし、そこに到着したのは、式開始の2時間前。まだ、結婚式の参加者は誰も来ていない。レストランのスタッフが慌しく働いている。仕方ないので、そこで待つ事にした。まだ、結婚式での事、何も打ち合わせしてないのに、、、式開始の10分前、スタッフの1人が、僕に花嫁の後ろからサックスを吹きながら行進する様指示した。とりあえず、言われた通りにする僕。そして結婚式が始まる。イスラム系の音楽が流れる中、式は着々と進行する。僕の他にも、5~6、人の音楽家が雇われているが、彼らは皆、イスラム系の音楽家だ。僕にイスラム系の音楽を演奏しろと言われても、出来ないぞ。そもそも音楽家を雇うのであれば、前もって楽譜を用意すべきではないかと控え室で要らぬ心配をしながら、食事をむさぼる僕がいた。
でも、そんな僕にも転機が来た。出席者が食事している間、僕に演奏して欲しいと指示が出た。そこで僕は、普段、路上で演奏している曲を演奏して見せた。思いがけぬ反響の良さに、僕は気を良くした。アンコールをたのまれるのは、嬉しかった。その後、ダンスパーティになり、僕は得意のコサックダンスを披露して見せた。すると、みんな、こちらを振り向いたではないか。我流のダンスだったのに、、、
オージーの結婚式を見ていて感じたことは、出席者を楽しませる工夫が非常に良く出来ている点である。例えば、友人がスピーチで、当たり前の様に冗談を言い、出席者の受けを取ったり、花婿、花嫁の登場前に、何組かの仲の良いカップルを登場させ、主役はまだかとじらす。しかも結婚式でディスコ調の曲を流し、花嫁が踊る。僕は結婚式というものを見たことが無かったが、結構楽しいものだなと感じた。
第17章:パースその2
結婚式も無事終わり、お次の舞台はパースです。インディアン・パシフィック号の乗り心地の悪さのせいで寝不足だった僕は、バッパーで疲れを癒すため、昼過ぎまで眠った。目が覚めると、僕はパースの街へいつもの仕事をしに行った。そしたら、昔、シドニーで出会った友達に沢山会った。つくづく、オーストラリアって狭いなぁって感じた。でも、これで国土は日本の22倍あるのだ。演奏している時、ふっとこんな事を考えた。人間同士って、別れる時は一瞬だけど、出会いは一生なんだなって。
第18章:WA ラウンド
僕は、$700という格安の車を購入すると、ドイツ人のリフトメイトと知り合い、WA ラウンドを開始した。奇岩郡のピナクルズ、シャークベイのイルカ、ブルームの月の階段、どれも印象深いものばかりであった。でも、月の階段は、残念ながら、写真に写って無かった。フィルム1本まるごと使ったのに、、、(前にもこのオチあったな)
最終章:そして日本へ
色んな事があって、僕はシドニーに帰って来た。僕は、音楽を通じて色んな人と知り合い、そして楽しい時間を共有してきた。もしも僕がオーストラリアにサックスを持ってきてなかったら、僕の旅は全く違ったものになっていただろう。音楽とは、1つの言語であると僕は考えている。皆が大好きで、世界共通な言語、それが音楽なのだろう。そんな事を考えながら、僕は日本へ帰る準備をしている。次の旅の計画を立てている。韓国のあの娘に会う為に。
THE END
番外:Q & A

僕がよく聞かれる質問に対して、僕なりの回答をしてみました。
Q:初めて路上で演奏した時、緊張しなかったの?
A:初めは緊張しました。でも、慣れてくると演奏することが当たり前になってくるので、いつも結構リラックスしながら吹いてますよ。でも、いつも「失敗しないように!」って念じてますけど、、、
Q:いつ、どこで演奏してるの?
A:気分次第です。時間的には午後の1時から6時迄の間、その内の2時間位ですね。でも、「稼がなきゃ!」って思いが強い時には3時間位、連続で演奏します。そういう時に限って、収入はいつもの倍位になりますね。場所的には、シドニーなら、ハイドパーク、メトロ前、チャイナタウン等がお気に入りです。メルボルンなら、コリンズストリート、フリンダースステーション前でやってました。パースはいつも、ショッピング・モールでやってました。でも、許可を取れば、基本的には何処でやってもいいんですけどね(もちろんやっちゃだめな場所、時間は特別に指定されてますけど)
Q:トラブルは無いの?
A:うーん、3ヶ月に1回位あります。宝石店の前でやったりすると、よく、丁寧に「移動して」と言われますね。一番困ったのは、サッカー大好きなオージーに、ロッキーのテーマを吹いてくれとしつこく言われた事でした。彼が鼻歌で歌って、その通りにやって、ようやく許してもらいましたけど、、、
Q:音楽大学に通ってたの?
A:いいえ。理工系の大学です。でも、サックスはプロの先生に個人的に習っていました。ちなみに、今年でサックスを始めて8年目になります。
Q:「私でもできる?」
A:オージーを満足させる芸があれば、問題ないでしょう。音楽家なら3年以上経験があれば、バスキングは出来ると思います。オージーって、音楽家に感謝して、彼らが生活出来るよう、チップをくれるって聞いた事があります。だから、オーストラリアでは、芸でメシを食うなら、日本より楽です。頑張って下さい。

MARI のオーストラリア体験記

皆さん、お久ぶりです!!お元気してますか?25日に、無事旅行から帰ってきました。今回は、その旅行の報告メールです。「かなり」長くなりますので、時間のある時に読んでください(そして、大容量でゴメンナサイ…)
SYDNEYを出発したのは6日の夜。日本人の友達1人と、韓国人の友達1人、計3人の旅です。長距離バスで、まずはMELBORNE(メルボルン)まで行きました。車中泊だったんですが、これはもう2度と経験したくないですね。眠れなーい!!腰も痛くなるし…
結局殆ど眠れぬまま朝を迎え、その足で重いバックパックを背負って、予約しておいたバッパー(安いホテル)へ。とりあえず朝食をとり、市内観光へ。しかし!!その日のMELBORNEの天気は最—悪!!豪雨、強風、厳寒…!!まるで台風の様で、持ってきていた傘は30分で壊れました。さらに。その日はMELBORNE CUPの日で、祭日。どこのお店も開いてない。見事に(マクドナルドは開いてました!)
マーケットはもちろん、教会までもが閉まってて、観光しようにも”どこを?”って感じでしたね~。唯一中まで入って見れたのは、”旧メルボルン監獄”だけでした。そんなこんなでMELBORNEの第一印象は…”最悪!!”でしたね。でも、天気はしょうがないし、祭日だから店が閉まってるのもしょうがない。ただ、SYDNEYでは祭日でもCITYの大抵の店が開いてるから、ちょっと期待してしまった私がいたのでした。甘かった…。
MELBORNE CUP は MELBORNE 最大のお祭り。これは、競馬レースのお祭りなんですが、競馬だけじゃなくてもう1つ、見物があるんです。それが、MELBORNEの女性達のファッション。その日、女性達は艶やかな衣装に身を包み、ド派手な帽子を被ってレース場へ行くんです。女性達にとっては、競馬よりもそのファッションの方が大事だと思います。私はそれが見たかったし、AUS 最大の競馬レースで賭けてみたかったので、敢えてその祭日に MELBORNE 着にしたんです。だから、店が閉まってるのにも文句はもちろん言えません。自分で選んだのだから(涙)
ところで、私は生まれて1度も競馬というのをやったことがありません。唯一、友達に「女の勘は男にはないもの。思いつく数字言ってみて!」と言われて答えた数字が、彼の競馬の役に立った、という経験はありますが…。ま、私は競馬にはあまり興味がないのです。ただ、経験として AUS の競馬を味わってみたくて。ただ、レース場に行くほどの情熱は持ち合わせておらず、TAB と呼ばれる、AUS の公式賭博場に行って、ただ適当に賭けてみました。
いざレースが始まり、ドキドキしながら大画面に見入ってました。
私の賭けた馬は2頭で、そのうちの1頭はなんと、トップを走っているではありませんか!!これで興奮しないわけはありません。いけー、そのまま突っ走れー!!と思っていたら、最後の半周でグループの中盤にいた馬が、ガンガンとスピードを上げて追いついてくるではありませんか!ピーンチ!!と思ってると、そのままズバリ!追いつかれ、追い越されて1着を奪われてしまいました…ああ…私の$20が飛んでいきました…。ま、これも楽しかったし、いい経験ができたなと満足してます。次の日、美術館などの芸術鑑賞。メルボルンで見たかった、教会も色々廻ってきました。う~ん、絵画はよく分からなかったけど、教会は綺麗でしたね。すごく。
次の日、MELBORNEから2~3時間かかるところにある、”SORRENTO(ソレント)”という所へ行ってきました。ここは、私の働いているCAFEのSTAFFでMELBORNE出身の子がいて、今度MELBORNEに行くからどこかお勧めの所があったら教えて、と聞くと教えてくれた所です。半島の先端の町で、海がものすごーく綺麗!!GREEN&BLUEの海が目の前にどかーんと広がってて…。町はものすごく小さいけど、美味しいパン屋さんや、かわいいCAFEなどがあって、人々も朗らか。そこで、1泊して次の日は”イルカ・アシカと泳ぐツアー”に参加。船で15~20分くらいの所に、岩みたいなものが海から突き出てて、ちょっとしたスペースになってるんです。そこに、野生のアシカが7~8頭休息してて。そこでシュノーケル・マスク・フィンを着けて海へと入ると、何頭ものアシカが海を泳ぎまわってて…!!彼らは私達を警戒するどころか気にもしてない様子でした。泳ぎのうまい人は、上手に一緒に泳いでましたよ。私もちょっとは一緒に泳げたかな?とにかく、野生のアシカを見たのも初めてだったし、一緒に泳ぐなんてことももちろん初めての経験。大興奮、大満足でした!!天気も最高に良かったし!!アシカの次はイルカ。船を移動させてイルカの群れを探し、海へと入ったんですが、彼らの泳ぎの速いこと!!ひゅーんと遠くへ行ってしまい、一緒に泳ぐというよりは海中でのイルカウォッチング、となってしまいましたね。
でも、船上で見るよりももちろん至近距離でしたし、自分の足のすぐそばをイルカの群れが泳ぎ抜けていく、というだけでも充分でした。帰りの船上ではいくつものイルカの群れを見れたし、あるグループは別の船(豪華客船)の先頭で、ジャンピングをしながらまるでその船と競争をしてるかのようで、すごくかわいかったです。ツアーのスタッフのお兄さんもすごくカッコ良かった!!し、大満足のSORRENTOを紹介してくれたその子に感謝!です。
MELBORNEに戻り、その日の夜にCASINO(カジノ)へ行きました。SYDNEYのカジノは1,2回行ったことがありますが、ほとんど同じ感じでした。
外見はもっとゴージャスでしたが。ただ、私はあまり賭け事をしないのでルールが分からず、簡単なPOKIEをしてました。要はスロットです。別にカジノじゃなくてもそこら中のBARに置いてあるのでわざわざカジノまで来てやるものではないと思うのですが…。なにせそれしかルールを知らないもので…。そこで!なんと生まれて初めて勝ったんですよー!!$28のGAIN。でも、$10費やしたから差し引き$18。はした金かもしれないけど、初めて勝ったから嬉しくて!!友達2人は負け。私一人ルンルンの帰り道でした!その日以来、街で”POKIE”の看板を見るとやりたくなってしまうほどに…!嵌ってしまいそうですねー、でもほどほどに!!
MELBORNEからADELAIDE(アデレード)への移動は、1泊2日のツアーに参加。これは、MEL-ADE間にある”GREAT OCEAN ROAD(グレートオーシャンロード)”という景勝地や、”THE GRAMPIANS NATIONAL PARK(グランピアンズ国立公園)”等を廻りながらの1泊2日のツアーです。以前、写真だけで見ていたG・O・ROADは”つまらなそう…”という印象だったんですけど、実際見てみると、ものすごく大きくて、綺麗で、「うわー!!」と声を上げるほどでした。結構見応えがあります、ここは。国立公園も、丘に登って見下ろすそれは広大で、AUSってなんでこんなに広いんだろう…と答えのでない事を考えてしまうほど。見渡す限り、濃緑の森林…。鳥の囀りが響き渡って、まるでコンサートホールの様。本当に新鮮だな、と思える空気を吸い、大胆かつ涼しげな滝を見…癒されましたね。
その日の夜は、宿泊した町に唯一のBARへ皆で出向き、親睦を深めました。次の日、順調にADELAIDEへと向かっていたそのツアーバスに異変が!何と!バスのエンジンルームから強烈な臭いと煙が!!!バスを止め、エンジンルームをチェックするが直せず、ガイドのお兄ちゃんは車をヒッチハイク
して近くの町まで乗せてもらい、専門家(?)を呼ぶことに。私達は道端で待つこと30分…。その専門家(らしきお兄ちゃん)は、エンジンルームをチェックして色々いじくり、「SHOULD BE OK!(これで多分大丈夫だよ!)」と言って去っていきました。さて、めでたく再出発!をしたは良いものの、20分後…また煙が!!こりゃダメだ、ということで、新しいバスを手配することに。しかし、そのバスはMELBORNEからこちらへ向かう為、3~4時間は掛かるとの事。足止めをくらった町で昼食をゆ~~~~っくりとるが、まだ1時間しか経ってない
その町はあまり大きくなく、見るところが殆どない。ああ、何もすることがないーーー!!!ただひたすらバスを待つしか…。ようやくバスが来たのは午後4時。再々出発をし、めでたくADELAIDEに着いたのは午後11時過ぎ。YHA(会員は安く泊まれるホテル)にもちゃんとチェックインできたので、めでたしめでたし!それに、ガイドのお兄ちゃんは色々努力してくれ、2日目に廻る予定だった場所をできる限り回ってくれたし、到着時間が遅れることを、一人一人のホテルやバッパーに連絡してくれたし、ADELAIDEまでの長い道のり、皆が眠りこけている中ひたすら運転し続け、少しでも早く着けるようにと頑張ってくれた(もちろん、安全運転で)
これは、ガイドとしたら当たり前の事かもしれないけど、トラブル後の対応って結構大事で、人によってはその対応いかんでそのツアー自体の印象を悪くしてしまう事もある。私の場合は、その対応にガイドの努力が感じられたので、ツアー自体の印象は「トラブルもあったけど、それもまた1つの思い出!!」と捉えられました。それに、そのトラブル以上に素晴らしい経験ができたから…。
さて、ADELAIDEでの初日。レンタカー会社に出向き、予約しておいた車をピックアップ。これから1週間はこの車と一緒です。3人の中で、韓国人の子は免許を持っておらず、日本人の子は日本の免許はあるけど英訳を持ってない。(AUSのいくつかの州では、日本の免許証+英訳した公式文書で運転できるんです。)というわけで、法律的に運転できるのは私のみ(私の国際免許証は期限が切れてしまいましたが、日本の免許証と英訳を持っているので、運転可なんです)ペーパードライバーとほぼ肩を並べるほどの私。こんなんで見知らぬ町を運転していいのだろうか…?と不安もありつつ、助手席に「地図を見るのは得意!」という頼もしい友達を乗せ、いざ出発!
ADELAODEには、車で1~2時間で行ける距離に色々な見所があり、その日は2・3箇所廻りました。その中での私のお気に入りは、「STROWBERRY FARM」。そこで食べたイチゴ、甘くてすーっごくおいしかったんです!!また行きたいな…。すっごく小さなFARMなんですけどね。AUSのイチゴって、結構酸っぱいのが多くて、がっくりきてた私に幸せが!!って感じでした。
13日の火曜日から、いよいよ(私にとって)この旅のメインイベントである、”DRIVING TO BROKEN HILL”が始まりました。BROKEN HILL(ブロークンヒル)というのは、ADELAIDEから車で7~8時間くらい掛かる、ちょっとしたアウトバックです。ただ、NSW州に属するんですけど、ADELAIDEからの方が近いんです(ADELAIDEはSOUTH AUSTRALIA州)そのBROKEN HILLの近くに、”MENINDEE(メニンディー)”という町があって、
そこにある湖に行くのが、大きな目的だったんです。どんな湖か…これを説明するには写真が必要!!言葉では無理です。
敢えて努力してみるなら…大きな湖の底からたくさんの枯れ木が生えていて、ものすごく幻想的…なんです。その枯れ木はもう死んでいて、葉をつけることはないんですけど、それがまた淋しげで、いい味をだしてるんですよね…。写真は撮って来ましたが、デジカメは持ってないので、今度機会があったら写真を送ります。
とにかく、まずはBROKEN HILLへ向けて出発。CITYを抜け、郊外を抜けると、もうずっと1本道をひたすら走り続ける。車も殆ど通らず、広いAUSの道を気分よくドライブしてるうちに、スピードは130~40、50,60km/hくらいになってしまっていて…その道の法定速度は110km/h…。高速でもないのにこんなに出しちゃいけませんね。はい。しかも、対向車がこないのをいいことに、中央線を越えて反対車線を走る、なんて事もしてしまいました…。うーん、こんなことしちゃいけないのは分かってますが、これができるのもAUS。
そんなこんなしてる内、広大な景色にもちょっと飽きてきて、(だってずーっと同じなんですもん!)ラジオも届かなくなり、皆が眠りはじめ、私は一人ヒマー。運転するのは下手だけど好きなのでいいんですけどね。音楽もなし、話し相手もなし、景色は同じ…これは眠気を誘う大きな要因ですね。
ところどころにある町で小休憩を取りながら、5~6時間走ったでしょうか、助手席にいた友達が、気を遣って運転の交代を提案してきました。私も運転できないわけではなかったんですけど、ちょっと眠かったし、こんなアウトバックでまさか警察は来ないだろう、ちょっとくらいなら大丈夫でしょう、と思って交代しました。その子は日本での運転経験はあるし、交代したところはひたすらな1本道。ただ唯一の曇りは、その子が免許証を持ってきてないこと。それにもし持ってきてたとしても、英訳がないと運転はできない。そう、立派な法律違反なわけです。分かってはいても、大丈夫でしょう、の方が大きな比重を占める私達の頭の中。その子が運転を替わり、私は助手席で一眠り…。40~50分ほど経ったでしょうか、私は目が覚め、ふとバックミラーを見ると、ぴったり私達の後ろにくっついてくる車が1台。初め、友達は「追い越したい車なんだろうな」と思い、スピードを緩めて追い越されるのをまってましたが、一向に追い越す気配がない。よーく見ると、なんとその車…なんだったと思います?そう、警察だったんですねー!!うわー、やっちゃった…。最悪です。何でよりによって、免許を携帯してない友達と運転を交代した時に捕まっちゃうかなー?私が運転してた時だったらスピード違反で済んだのに…。路肩に停め、どう言い訳しようかとドキドキ。とりあえず、「急に私の体調が悪くなり、運転を交代してもらった。免許証は家に忘れてきた。」ことにしよう、となりました。警察官が来て、まずは「Hi,How are you?」と笑顔。続いて「免許証を見せて。」と。きたー!!ここで、その場のやり取りを簡単に。
友達:持ってないです。日本の免許証はあるけど、家に忘れてきました。
警察:Oh,免許証を持ってない?!
友:はい、でも家にちゃんとあるんです!今、友達(私のこと)が急に気分が悪くなったので、少しだけ運転を交代したんです。
警:君?君は免許証持ってるの?
私:はい、(と警察官に提示。)
警:この車は誰の?
私:レンタカーです。
警:契約書を見せてくれる?
私:はい、これです。(と提示。)ちょっと私の気分が悪くなったので、少しだけ友達と運転を交代してもらったんです。
警:OK.運転してる君は免許証、家にあるんだね?
友:はい!
警:家はどこ?
友:NSWです。住所はxxxx
警:僕ね、2~30分ほど前から君の車の後ろにいたんだけど、君どのくらいのスピードで走ってたか知ってる?
友:120kmか130kmくらい…
警:いや、137km。ほぼ140kmだ。君、この道の法定速度知ってる?
友:…いいえ。
警:110km。
友:えっ?!そうだったんですか?見えなかった…。
警:何かそんなに急ぐ理由があるの?
友:…(考えるが思いつかない)
警:理由は無しか。それと、君は3回以上、中央線を越えて反対車線を走ってたね。
友:あ…
警:ちょっと君、一緒に来てくれる?
と、友達はその警察官に連れられて、後ろのパトカーの方へ行ってしまったので、その後のやり取りは分かりませんが、10分ほどの取調べ(?)の後、2人は車に戻ってきて、その警察官は「僕は、君たち旅行者に、安全にAUSを楽しんでもらいたいんだ。分かるかい?今回は、スピード違反とロードルール違反で$207の罰金だよ。(気分の悪い)君、もう大丈夫かい?運転できそう?(取調べの最中、私が運転席に移っていたため)OK。では、くれぐれも安全に旅を楽しんでくれ。」と行って去っていきました。車に戻ってきた友達は、ガーーーーン!!という顔で、その罰金の値段の書かれた書類を見入ってました。$207…。なんて高額!!ただ、ひたすら落ち込んだ後、彼女は「あの警察官はやさしいと思う。だって、私が家に免許がある事を信じてくれたし。もし信じてくれなかったら、罰金はもっと高額になってたと思うし、最悪この先運転は禁止されてたかもしれないよ。」と言ってました。私もそう思いました。とにかく、このハプニングの教訓は、「悪いことをしたらそれだけのしっぺ返しがくる。」それ以来、私は法定速度をなるべく守り、(最高でも+10~20km/h)運転の交代はしませんでした。(当たり前だ。)これが、この旅1番のハプニングでした。
さて、無事にBROKEN HILLへと到着。思ったよりも大きな”街”でした。YHAにチェックインし、夕方は近くのNATIONAL PARKへ行き、夕日を見てきました。これがまた、言葉にならないほどの美しさで…空がだんだん、ピンクから赤が濃くなり、真っ赤から濃いオレンジへと変わり、ゆっくりと夜になっていき…。これも、写真は撮ったので上手く写ってたら良いんですけど。次の日に、目的の”MENINDEE”へと。BROKEN HILLからは車で1.5時間ほどでしょうか。そしてついに!その湖へと到着!!写真で見るよりもはるかに美しく、感動ものでした。湖の色も、乳色+緑色というか、今までに見たことのない色。そして、そこには野生のペリカンもたくさんいて、驚きでした。自然の宝庫…AUS。夕方になり、泊まるところを探しましたが、結局2箇所ほどしか見つからず、安い方に。(しかも朝食つきだったので。)そこでちょっと仮眠をし、夕日を見に再び湖へ。7pm頃行ったんですが、見頃は8pmを過ぎたころでした。それにしても、本当にポストカードの世界が今、自分の目の前に広がっている…。素晴らしい色…。私の語彙が乏しくて表現不足で、理解に苦しむと思うんですけど、超!簡単に言えば”とにかく綺麗!!!!!!!”なんです。その夕日をカメラに収めようとした時、あることに気づいた私。カメラのフィルムの残り枚数:1ーーー!!そして、新しいフィルムをホテルに置いてきてしまったバカな私。友達は予備のフィルムを持っていたらしいのですが、そのときは皆、バラバラの場所で写真を撮っていて、見つけられなかったんです。(広すぎて)ああ…そういうわけで、ここ一番にドジを踏む私でありました。友達にたくさん焼き増ししてもらおうと思います。この写真は、是非とも見てもらいたい!!
次の日の朝、早起きして朝日を見に再び湖へ。
夕日と朝日では、色が全く違っていて、朝日の色は黄色・薄いオレンジです。私は夕日の濃い色の方が好きかな?ホテルに戻ってチェックアウトし、近くの国立公園をドライブ。すると、そこら中に野生のカンガルー、エミュー、トカゲがうようよ!!特にカンガルー、これは曲者です。運転してると、所構わず”ぴょーん!”と飛び出してくるんですよ!!よく、ガイドブックとかに書いてあるので、知識としては知ってましたが、昼間に、しかも自分の身にそれが起こるとは…。(起こるからガイドブックに載ってるんでしょうが…)1匹、私よりもはるかに大きいカンガルーが突然、左手から飛び出してきて、私は間一髪、ブレーキ!!危うく轢くところでした。本当に。彼らは茂みにいて突然飛び出してきたりするので、いつ・どこからカンガルーが飛び出してくるか、予想がつかないんです。だから、そのドライブロードでは20~30km/hで、周りをきょろきょろしながら運転してました。(道もガタガタだったので。借りた車は一番ランクの低いものだったので、衝動が大きく伝わってくるので。)カンガルーほどではないにしろ、エミューもトコトコ、車の前を横切っていきました。ここでは、彼らが車の邪魔をしているのではなく、私達が彼らの生活空間を邪魔してるんですね。それと、BROKEN HILLからMENINDEEまでの大きな道路で、道端に転がっているカンガルーの死骸をたくさん見ました。交通量の多いその道で、夜間に車のライトに近づいてきた彼らは、車に跳ねられてその死骸はカラスのエサとなる…。完全に骨となってしまってるもの、カラスに食べられてる最中のもの、干からびてるもの、つい最近轢かれたと思われるもの、、、色々でした。何か良い予防策がないものでしょうか…?カンガルーの飛び出しを恐れて、夜間に30km/hで走り続ける訳にはいきませんしね。(ただ、私達はカンガルーの件だけでなく、夜間の走行はリスクが高まるので、夜間走行は殆どしませんでした。)
その日の夜、ちょっぴり怖いハプニング。私は少し疲れてたので、夕方から寝てたんです。友達2人は、YhAにあるプールで泳ごう!ということで泳いでたらしいんです。そこで、友達2人はある男がずっとこちらの様子を窺ってるのに気づいたらしいんですね。その男はそのYhAの至る所に出没し、こちらを見てる。友達2人は、「あの男、ちょっと変だから気をつけたほうがいいね。」と話してたそうです。その事はさっぱり知らなかった私。夜になり、皆が寝静まりかけた12am頃…私達の部屋の窓を「コンコン・・コンコン」とノックする音…。初めは、風の音だろうと思って無視してたのですが、どうやらそれは人が窓をノックしてる音。こんな夜中に誰が…?!と思い、友達がカーテンの裾からそっと外を覗くと、何と、例の男がいるではありませんか!!「いやー、どうしよう!!」と皆ドキドキ…。その男は、窓の外の駐車場をウロウロしながら、たまに窓をノックしてました。怖くなった私達は、YHAの受付に携帯から電話を掛け、外に変な男がいて窓をノックしてる、怖いのでチェックしてくれ、と頼みました。オーナーはすぐに出てきてくれ、その男に声を掛けたところ、すぐに逃げられ、追いかけたけどその男は若く、足が速くて逃げ切られてしまったとの事。私達はこう話し合いました。「BROKEN HILLにはあまりアジア人は来ないから、私達は目に付きやすかった。私達を見て、あの男は金持ちの旅行者だと思い、様子を窺って隙を狙ってたのかも。だから、昼間でも部屋を離れる時は窓の鍵までしっかり掛けて、貴重品は常に身につける!当たり前のことだけど、つい面倒で「大丈夫だろう」と思いがちだったけど、危険はいつでも身の近くに潜んでる。しかも来週からは私達3人はバラバラになるわけだから、より一層気をつけなきゃ!!」うーん、怖かった…。
次の日、BROKEN HILLからADELAIDEへの帰路へ。行きと違って何故かラジオもずっと掛かってたし、眠気も全くなし。(その為に、前日昼寝をして睡眠をたっぷり取っておいたのです。)順調に進み、4pm頃には到着。その夜、ADELAIDEの夜景を見に「WINDY POINT」へ。途中、道を間違えてしまったのですが、そこから見たADEの夜景の素晴らしさといったら!!今までに見たことのない夜景でした!!ADELAIDEの街の街灯は、夜になるとオレンジ色を放つのですが、それが運転中は信号の黄色と見間違えるほどで「紛らわしいな…」と思ってたんです。それが、こうして山の中腹から見ると、とてつもなく綺麗!!カラーは殆どがそのオレンジと、銀色。道を戻って、ちゃんと「WINDY POINT」という展望台まで行ったのですが、そこからの夜景ももちろん、素晴らしかった!!星もものすごい数…しかもすぐ側に見える!これは、ADELAIDEに行く人は必見!!!ですね。ちょっと交通の便が悪いですが。車があれば便利。何にせよ、ADELAIDEは車があれば色んなところに簡単に行けるので、ここに滞在するなら車は必需に近いですね。ADEの夜景、私にとっては一番だと思ってた函館の夜景よりも綺麗でした…
次の日は、ANGASTON(アンガストン)という町へ。
昔の農家(といっても、お屋敷でお金持ちの家)に行って、紅茶とスコーンでAFTERNOON TEAを満喫したり、BAROSSA VALLEY(バロッサバレー)というワイナリー巡り。私は殆どお酒が飲めない為、SWEET WINEをちょっぴりテイスティングしただけ。でも、そんな私でも飲める程、美味しかったですよ。(それに安い!)PENFOLDS(ペンフォールズ)というワイナリーで、すごく甘くて美味しいワインを1本、購入。最終日は、CITYから車で20分ほどの所にある、GLENELG BEACH(グレネルグビーチ)へ。すごく綺麗だったんですけど、とにかく強風の為泳げもしないので、ちょっと街を散策。ここへはトラムという路面電車でも来れるんですが、そのトラムの最終駅ホームがビーチのほんっとうに「目の前!」にあって、びっくり。駅を降りてビーチまでは、歩いて30秒くらいでしょうか。さて、車を返却し、レンタカーの旅は終了。私、車庫入れとかって大の苦手なんです。で、まんまと旅行中に車を傷つけてしまい、その修理代、$350-!!もちろん、保険に入ってたのでこれだけの額で済みましたが、本来は$1,000近く掛かるほどの傷らしく…。ははは…。中古車でも買って練習しようかな…?(でも、AUSは中古車でもバカ高いのでそう簡単には買えない…)その夜は、私達「3人」の旅の最終日。次の日からは、皆バラバラになって旅を続けます。韓国人の子はAYERS ROCK(エアーズロック)へ、日本人の子はPERTH(パース)へ、そして私はBRISBANE(ブリスベン)へ。
BRISBANEへは飛行機で向かいました。1.5時間位かな?到着したのが10pm頃だったので、その日はYHAにチェックインして就寝。次の日の朝、BRISBANEから長距離バスでNOOSA HEADS(ヌーサヘッド)へ。所要時間は2時間ちょっと。ここには6時間しか滞在できませんでした(私の一人旅は時間がキツキツだった為)
NOOSAのビーチはもちろん綺麗でしたが、とにかく観光地化されていて、何もかもが高い!! コーヒー1杯、$3.8~4とかするんですよー!?SYDNEYでさえ$2.8~3くらいで飲めるのに…!!恐ろしい値段!!結局買ったのはポストカードのみでした。ビーチで寝転がってのんびりお昼寝…。気持ち良かった!!
その日の夜、また長距離バスで今度はHERVEY BAY(ハービーベイ)へ。NOOSAからは3時間半ほど北に行った所です。そこで一泊し、次の日から1泊2日のFRASER ISLAND TOUR」(フレーザーアイランド)へ。ここは、全島が砂でできている島(世界最大)で、世界自然遺産にも登録されている島です。ディンゴが生息する島、と言えばわかる人もいると思います。
ここの見所はたくさんあるのですが、何と言ってもこれ。「LAKE MACKENZIE」(マッケンジー湖)!!写真を見せたいくらい…湖なのに、まるで海の様な色。鮮やかなブルーと白砂の織り成すコントラストはもう、何と言っていいやら…私が最初に発した言葉…「OH、MY GOD…!!」でした。ここだけでなく、島を流れる小川なども本当に透明で、何もかも丸見えです。この島の浜辺には「75MILE BEACH」(75マイルビーチ)というのがあって、4駆で浜辺を走り抜けることができるんです。たまにドライバーは、海の中まで入って走り抜けてくれ、海水の飛沫が車窓に掛かり、皆大喜びでした。が!!その浜辺は車が走れるほど、砂が硬く締まってるのですが、海辺から遠くなるにしたがって普通の砂の緩さになり、そこではたまにタイヤが砂に嵌ってしまうんです。それが私達のバスにも起こってしまい…。タイヤが砂に嵌り、前にも後ろにも進まない。そうとなれば、皆バスから降りて「PUSH---!!」です。男性全員+数名の女性で、「せーの!」とバスを押し、無事脱出!
この光景、写真を撮っておけば良かったな、とちょっぴり後悔…。
この島で、野生のディンゴを見ました。昼間でも結構見かけたんですが、ちょっと怖かったのは、9pm頃、宿泊していたホテルまでの送迎バスを待っている間、ディンゴが現れた時。ディンゴはゆっくりとこちらへ近づいてきました。ツアーが始まる時にガイドから言われたアドバイスを思い出し、決して背中を見せず、
じっとディンゴの顔を見つめ、静かに後ずさり…。するとディンゴは静かに違う方向へと去っていきました。ホッと一息…。この島で、数ヶ月前に子供がでディンゴにかみ殺される、という悲惨な事件が起きていますし、ガイドのお孫さん(まだ1,2歳)もディンゴに襲われ、大事には至らなかったものの、怪我を負っています。一見は痩せた犬のようですが、侮ってはいけません。ディンゴの写真を撮りたかったんですが、なにせ彼らは逃げ足が速く、ガイドが見つけて「ほら、あそこ!」って教えてくれても、皆がカメラを構えるころにはそそくさ!とどこかへ逃げてしまった為、結局1枚も撮れませんでした。(もちろん、私のすぐ側に来た時など、カメラを構えてる場合ではありませんでしたし。)FRASER IS、とても綺麗な島でした。
1泊2日のツアーが終わり、その日の夜にまた長距離バスに乗って、今度はBUNDABERG(バンダバーグ)という、GREAT BARRIER REEF(グレートバリアリー
フ)の始まりの町へ。GBRの始まりの町だけあって、海の色は今までにない色。ああ、もうこれは言い過ぎてますが、「めーーっちゃ綺麗!!!」しかも、ここはあまり人がいないので(特に午前中)、ビーチなども広いのにまるでプライベートビーチ状態でした!!波もその日は穏やか・天気は最高!で、泳ぐのにはもってこいの場所でした。水のように透明な海水…写真が上手く撮れてることを願ってます。ただ、何故私がNOOSAの滞在時間を削ってまでBUNDABERGに来たかと言うと、ここでは11月~3月の間、ウミガメの産卵が見られるとの情報を得たからです。日本にいる時にTVで見たウミガメの産卵。とても神秘的で、いつか見てみたいとは思っていました。それがこんなには早く叶うとは…!!絶対に見てみたくて、BUNDABERGまでやって来た訳です。
夜、6:30pm過ぎにYHAを出発し、ウミガメの産卵が見れるというMON REPOSE BEACH(モンレポーズビーチ)へ。そのビーチの側にあるウミガメセンター(?)で受付をし、順番を待つ間に説明やビデオを見ます。ウミガメがいつ・何時に現れるかは誰にも予想が出来ません。自然の事ですから。なので、現れたら行けるようにひたすら待機です。しかも、大勢ではいけないので受付の早い人順にグループ分けされ、現れたらまずグループ1から見に行く、というシステムでした。私はグループ2でした。センターの人曰く、「前夜はウミガメが現れたのは11pm頃。でも、途中で海へと引き返してしまい、別のウミガメが産卵に訪れたのは3Amでした」…う~ん、深夜の3時か…今はまだ7時半だぞ…長くなりそうだな…と思いつつ、展示室を見て廻ったり、ビデオをみたりしてウミガメが現れるのを待っていました。そうこうしていた9:30pm頃、「ウミガメが1匹現れた!」との情報で、グループ1がビーチへと向かいました。予想以上に早い時間だったので、今日はついてるかも…?と思いつつ、2匹目の現れるのを待つこと1時間。すると、新たに今度は2匹のウミガメが現れた、との情報!!やったー!!3時、4時も覚悟していただけに、ラッキー!!と思いましたね。センターから歩いてビーチへ行き、そのウミガメの産卵場所まで行きました。ウミガメは、産卵場所を探して砂を掘り、産卵を始めるまではとてもナーバスで、物音や光に物凄く敏感に反応し、産卵を止めて海へと帰ってしまうので、ビーチでは懐中電灯の明かりや、カメラのフラッシュは厳禁。
私達のグループが、産卵場所に着いた頃には、ウミガメは産卵を始めており、フラッシュでのカメラ撮影も可でした。初めて見たそれは、懐中電灯の明かりでライトアップされてたのもあったのですが、すごく神秘的でした…。100~120個もの卵を産み落としていくウミガメ。その目から流れ落ちる涙…(に見えるのは、実は体内にある余分な海水を排出しているだけの話らしいです。)産卵が終わると、今度は砂をかけていきます。砂をかけては休み、かけては休みの繰り返しで、丁寧に卵を覆っていきます。機から見るその姿はとてももどかしく、手伝ってあげたい気にもなりそうですが、そんなことはもちろんしません。ただひたすら、「頑張れー!」と心の中で応援するしかありません。20分ほどかけて砂をかけ終わり、残っている力でゆっくりと方向転換し、海へと帰っていきます。これも、ちょっと進んでは休み、進んでは休みの繰り返し。10分ほどかけてやっと海の中へと帰っていきました。ウミガメは、1シーズンに6回もこの大変な産卵を繰り返すそうです。なんて大変な
…!!このウミガメの産卵を見れたことに感謝すると共に、展示室にあった「ウミガメの敵」のボードに書かれていた「日本の装飾品、べっ甲」、改めて考えさせられました。日本人にとっては高価な品。でも、それがどこから、どのような手段で作られているかを考えたら、私にはべっ甲を喜んで購入する人を理解できません。たとえそれが、既に死んだウミガメのものから作られた、と言っても、需要が高まればウミガメの殺戮に繋がっていく筈です。
ウミガメに限らず、本物の動物の剥製などもそうです。人間の自己満足の為に殺されていく動物達がいること、これは事実です。以上に増えすぎてるから、等の声もあるでしょう。でも、以上に増えすぎている動物の剥製や体の一部を、高いお金を払ってインテリアや装飾品にと、購入する人がいるでしょうか?だって、カラスの剥製を高いお金払って買って、インテリアとしてリビングに飾ってる人を知ってますか?私は知りません。少なく、希少価値があるからこそ、高値でも欲しがる人間がいるんだと思います。年々、人間の欲は高まってきていると思います。それが叶う世の中になってきているから。この先、何十年後かの「人間の世界」と「自然の世界」の関係は、どうなっているんだろう…と、不安を覚えた夜でもありました。
さて、話は戻って、このビーチでは1月~3月にかけては、卵の孵化も見られます。ビデオで見ましたが、もうすっごくかわいくて!!生まれたての子ガメが砂からポン!と出て来て、一生懸命ヨチヨチと海へと帰っていく姿…見たいなーーー…。
YHAに戻り、就寝して次の朝は7:15Am発の長距離バスでBRISBANEへと戻り、飛行機の出発時間まで、BRISBANEの街を散策。全部を見て廻るほどの時間はなかったのですが、見れた限りではSYDNEYと大して変わらないな、という印象でした。飛行機に乗り、SYDNEYに着いたのは8:30pm。無事に帰宅し、3週間の旅の終了ー。
この3週間は本当に充実していて、あっという間に過ぎ去ってしまいました。色々な事があり、色々な経験が出来、大満足です!!帰ってきた翌日の月曜日から仕事再開。CAFEもちょっと変わっていて、メニューも新しくなりました。これからまた忙しい時期になります。今度長期休暇がとれるのは…いつでしょうかね?ま、しばらくは無理ですね。もちろん。今度長期休暇が取れたら、日本に一時帰国しようかと考えてます。日本が恋しい、というよりも、「本当の日本食が食べたい!!」ので…。さて、こーーーんなに長くなってしまってすいません。読み終わったらさっさと削除してください。また、暇が出来たらメールでも下さいね。それと、私は12月末に引っ越すので、新しい住所と連絡先が決まったら追って連絡します。携帯は同じです。それでは、皆さん体に気をつけて、お仕事・勉強頑張ってください!!写真が出来たら、送るつもりでいますが、いつになるかは…「?」ですー。

MARI のオーストラリア体験記 第2弾

今回は小旅行のメールです!(やっとJコミのネタができた?!)
先週の日曜日の朝から、火曜日の夜まで、友達4人で行ってきました。行き先は、「MUNGO NATIONAL PARK」という国立公園で、SYDNEYから約1,000キロ程西に行ったところです。一応、NSW州なんですけど、すぐ近くにはBROKEN HILLなどもあり、アデレードの方が近い!って感じです。そこに、「The Walls Of China」っていう名所があって、世界遺産にも指定されている所なんです。友達がインターネットでその情報を知って、行ってみたい!!ってなって、私が車を持っている事もあって、「よし!行こう~!!」となりまして。一緒に行った4人の内、1人は日本から観光で来てた子だったので、BLUE MT.にも寄ってきました。相変わらず霧まみれで、「また今回も見えないね~」なんて言ってたら、霧が晴れてきて見えました(これもまた相変わらず…)。私ともう1人の子は、何回か来てるので見飽きてましたが、観光で来てた子は「やったー!!見れたよー!!!」と大喜び。良かった良かった!
そこからはひたすらドライブ。4人とも運転できるから、皆で交代しながらでした。途中の街で買出しをして、とにかくドライブドライブ…かーーーーなり遠いです、ここ。最終的に着いたのは、11:30PM頃でした。それからご飯を作って、寝たのは3:00AM位でした。実は途中、ハプニングがありまして。というのも、心配していたカンガルーです。そう、とうとう轢いてしまったんです。夜に走っていたので、カンガルーとかウサギとか、バンバン飛び出してきてて。その事は、その時運転していた友達も分かっていたし、助手席にいた私も目を凝らして注意して見てたんです。そのカンガルーを轢く前にもかなりの数が飛び出してきてて、冷や汗ものだったので、スピードを落としての走行だったんですが、一匹かわし切れないのがいて。カンガルーさん、ごめんなさい!!その時の衝撃も凄くて、車の左・真横から飛び出してきてて、思いっきりぶつかったんです。砂利道だったので、ブレーキ踏むとハンドル取られちゃって、蛇行した後、1回転してやっと止まりました。周りが壁とか崖だったら、もっと大変なことになっていたと思います。このアクシデントで、車が少し損傷しました。まず、左のバンパーが割れて、ウィンカーの電球も割れてソケットが外れました。あと、左のフェンダーも少し凹み、左前輪のホイールが割れました。これらの修理代は、4人で頭割りすることになり、全部で$1,000程掛かるそうです。なので、1人$250。保険にも入ってますが、この金額だったらクレーム出さない方がいいので保険を使わずに直そうと思っています。
さて、肝心のNATIONAL PARKですが、目当ての「The Walls Of China」の他にも、小さな砂漠などあって、カンガルー島の「リトルサハラ」を思わせる景観でした。天気も良く、青い空と白い砂見事でしたね。しかも、人があまり居ないから、このだだっ広い景色を独り占め~!!(一人じゃないけど)って感じでした。
泊施設は、そのNP内に1つ簡単なアコモデーションがあるのと、キャンプができるような施設があります。私達はその簡単なアコモデーションの方に泊まりました。しかし、本当に「簡単」で、部屋の中には2段ベッドが3つのみ。(本当は4人部屋のはずだったんですけど、ちょっとした手違いで6人部屋に。)そのベッドも、マットレスがあるだけで、シーツや毛布はなし。自分達で持ち込みなんです。寝袋持参で、なんだかラウンドしてる気分ですよ。アウトバックだし、かなり寒いのは覚悟してきましたが、やっぱり寒いものは寒い!夜にシャワーなんて、絶対浴びれません!長時間ドライブでの疲れもあり、ご飯の後は皆そのままおやすみなさい朝起きてシャワーを浴びて、朝ご飯を作って。メニューは「フレンチトースト、ベーコン、マッシュポテト(晩御飯の残り)、コーヒー」でした。ちょっと優雅じゃないですか?!でも本当、気持ちよかったですよ~、青空の下、辺りには大自然。前の日は、夜遅くの到着だったので、周りの景色が分からなかったのですが、朝になると、見渡す限りの地平線、遥か向うには「The Walls Of China」。朝食後、早速そこへ向かいました。アコモデーションからは、車で10分ほどで着きました。この「The Walls~」は昔は湖だったのですが、今は水はなく、湖の底の砂が侵食されて、ヒダを形成してピナクルスの様になっているんです。思っていたほど「壮大!!」ではないのですが、「おお~!!」って感じです。これが自然の力で出来た物かと思うと、凄いなと思いました。芸術作品みたいなんですもん。表現不足でなかなか伝わらないと思います、ごめんなさい。また写真が出来たら送りますので、楽しみに待っていて下さい。
砂漠も見て、またアコモデーションに戻ってきたのが3:00PM。意外と早く見終わってしまい、計画変更となりました。というのも、このNP近辺は、雨が降ると通行禁止になるんです。もし雨でも降って通行禁止にでもなったら、水曜からの仕事に間に合わないと困るし、日本から観光で来てた子も、帰りのフライトが水曜日だったので、安全策を取って、晴れてるうちにここを出発しよう!となりまして。ちょっと雲行きが怪しくなってきてたんです、夕方から。で、向かった先はというとキャンベラです。何でキャンベラか?!というと、行きと同じ道を通るのはつまらないから、違う道にしよう!という事になって、そうするとキャンベラが近くなのでついでに寄っていこうか?となりました。私も11月の旅行の時に、コーチバスの休憩で30分ほどステイしただけだったし、4人のうちの1人が、明日からラウンドに出るんですが、ここでキャンベラを見ておけばラウンドの時に、わざわざ寄らなくてよくなるし、丁度いい!ということで。そのNPを出発したのが4:00PM頃で、またひたすらドライブ。途中のWAGGA WAGGAという街に着いたのが12:30AM。ここでモーテルに泊まる事にしました。キッチン付きのモーテルで、また皆でご飯を作って。今回は「オムライス」。さすがモーテルだけあって、ベッドにはちゃ~んとシーツ、毛布、掛け布団、電気毛布までありました!!ただ、4人部屋なんですけどベッドの割り当てが、シングル2つ+ダブル1つ。これをどうやって分けようか?となりまして。メンバーのうち、女は私1人だったので、優先的にシングルを使わせてもらいました。残るは「誰と誰が一緒に寝るか?!」でじゃんけん。結果的に、日本から観光で来てた子と、その子の友達(ワーホリでSYDに居る子)が仲良く(?)添い寝。でも、男の子って気持ち悪いんでしょうか、その2人は”一人がベッドに入って、もう1人は自分の寝袋を持ってきて、ベッドの上に敷き、その寝袋の中”で寝てました。女の子同士とかって、平気で同じベッドで添い寝しちゃうと思うんですけどね。その2人、「え~?!お前と添い寝?!嫌だよ、気持ち悪~!!」ってしきりに言ってました。
さて翌朝、朝食を取ってから、キャンベラに向かいました。WAGGA WAGGAを出たのが11:00PM頃で、途中休憩して着いたのが2:15PM頃でした。インフォメーションセンターに行って地図をもらって、AUSの首都、見てきました。でも外から見ただけで、中には入りませんでした。皆、「中?別にいいや。」で全員一致しちゃって。1回で十分ですね、キャンベラは。あまり面白いところではなかったです、私にとって。というわけで、3:30PM頃には帰途に。ここからも、ひたすらドライブ。田舎道がず~~~~~っと続き、ちょっと飽きてきた頃!またしてもハプニング発生です。今回は15キロスピードオーバーで、警察に引っかかっちゃいました。また、後部座席に座ってた2人がシートベルトをしてなくて、その2人にも罰金。この罰金がまた凄い!!幾らだったと思います!?私は「たかだか後部座席のシートベルト、掛かっても$50くらいじゃないかな?」と思っていたんですが、何と!$220(一人)!!!!更に、運転していた友達の罰金がまた凄い。15キロスピードオーバーで$185、プラス「後部座席の2人にシートベルトをさせてなかった代(2人分)」として$440!!合計$625ですよ~~~!!というか、スピードオーバーよりも後部座席シートベルト無装着の方が高いって。びっくりびっくり!!です。ただ、ここでラッキーだったのは、運転してたのが友達だったって事です。というのも、私以外の3人は「旅行者」扱いなので、罰金は払っても払わなくてもいいんですって。もし、この先AUSに戻って来たいのなら、その罰金は払わなくちゃいけないんですけど、そのつもりがないなら、払う・払わないは本人次第なんだそうです。運転してた子はワーホリで、国際免許で運転してて。残りの2人のうち、1人もワーホリ・残りの1人は観光visaだったんです。これがもし、私が運転してる時に捕まってたら、絶対に罰金を払う羽目になってたと思います。私はこっちの免許証で運転してる、「居住者」な訳ですから。う~ん、AUSのルール」って、居住者には厳しいけど、旅行者には甘いのかしら。そうは言っても、スピードの出しすぎはいけませんね、はい
そんなこんで、SYDに着いたのは6:30PM。それから皆でご飯を食べて、カジノに行ってきました!(最近、週1くらいのペースで行ってるんですよね、カジノ。)今回は車の修理代を稼ぐぞ!っていうテーマで。あと、観光で来てた子が次の日が帰国だったから、最後にぱ~!!っと賭けよう!ってなって。結果は、一人がルーレットで$500勝ち、観光の子がPOKIEで$280勝ち(これ、凄いんですよ!!元手はたったの$10だったんですもん!)、もう一人がルーレットで$50勝ち、私は±0でした!($100掛けて、勝ったり負けたりの繰り返しで、最終的には±0に落ち着きました。)負けが一人も居なかったから、皆良い気分!私は本当に、最近ルーレットにハマり過ぎなんですよね~。一回痛い目見ないと、抜けられなそう。私だけじゃなくて、私の周りは皆、カジノにハマってるんですよね、今。ちょっとした内輪でのブーム、みたいな。何かあると、「じゃあ、カジノでも行っとく?」みたいな。24時間やってるから、っていうのもあるんですけどね。たいがい、行ってゲームを始めるのは12:00AMまわってからで、帰るのが4:00AMくらいになっちゃうんですよね。12:00AM前までは、ルーレットの台が込んでるんですよ。で、終電の時間が終わるとグッと空いてくる・・・。私はBARに行くとPOKIEをやってますが、カジノではひたすらルーレット!ですね。前まではルーレットの掛け方さえ知らなかったんですが、友達に教えてもらってからハマッてしまって・・・。
といろいろありましたが、楽しい日々でした!また行きたいな~~

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